【芦生】芦生の森の防鹿ネット内観察とネット上げ作業 2013

2013年5月11日(土)


昨年11月に防鹿ネットを下げてから約半年経った。去年は春のネット内観察とネット上げ
作業は5月16日
に行った。今年もその時期がやってきた。

もう芦生の森もすっかり雪が無くなり、ブナの芽も鹿にやられているのでは無いかと心配。
この「知ろう、守ろう芦生の森」植生調査作業に参加するのも6回目になる。

家を7時過ぎに出た。今日は昼過ぎまで雨が降る予報。気温も低い。
きっと雨の中では、この冬を生き抜いた昨年の実生のブナと枯死したブナを観察記録用紙
に記す作業がしにくいだろう。
 
かやぶきの里のれんげ 
美山のかやぶきの里ではまだ小雨が降り続いている。
去年の同時期と同様にかやぶきの里のレンゲの花が綺麗に咲いている。
少し早く着きすぎそうなのでしばし休憩。

9時40分に研究林の駐車場に着いた。
インターネットではもう何年間も芦生のことではお世話になっているFさんも、今日は参加
されているのでMICKEYと共にご挨拶した。

「あっ、MICKEYさんですね」と言われ驚くMICKEY。
Fさんとは初めてお会いした気がしないのがインターネットの関係での不思議なところ。

今日は4班に分かれての作業。ボランティアは10数名の参加。
進行役には行政から村田さん。
総括として京都大学の高柳先生、研究林技術班長のKさん(調査地1)と、同じく技術
班長のHさん(調査地2)。

各班、4~5人に別れて、それぞれ行政からの班総括者1名がつく。写真担当は2名。

僕とHさんは3班。MICKEYはFさんと同じ2班。
フォレストさんは1班。Hさんの絵画展でお会いしたSさんは4班。
昨年10月の継続観察の時にご一緒したTさんも4班。
   
   
10:05
雨なのでスケジュールの順序を変更し、まず「マイクロ水力発電」の見学を先にすることに
なった。説明は今井さんがして下さった。

2000年頃、今井さんが「芦生の自然を守り生かす会る会」の事務局長をされていたとき
に、僕も守る会会員として勉強会等でいろいろご指導を賜ったことがある。
今は「芦生山の家」の管理も今井さんがされているという。また、この水力発電の取水口の
落ち葉などの掃除も毎日今井さんがされいるらしい。大変なご苦労だ。

須後では昭和25年頃、内杉砂防兼発電堰堤があったころは20kwの発電がされていた。
その当時の水路もある。送電の法律の関係でなかなか難しいらしく地区内でされている。
山の家駐車場の横にある、今回のマイクロ水力発電施設は1kwの発電機を4機設置。
昨年4月から稼働し今は1.5kwを発電。2機の独立電源は芦生山の家の冷蔵庫や浄化槽用
電源として使われている。系統連携の2機は山の家全体の補助電源として使われている。

研究林事務所前からバスに乗り、内杉谷から地蔵峠へと向かう。雨で路肩もゆるんでいる。
昼には少し早いが、雨も降っているので地蔵峠のバス内で先に弁当タイムとなった。
   
   
11:40
食事が終わり、道具を持って枕谷の調査地へと向かう。
調査地で村田さんと高柳先生から再度の作業説明。

去年の10月11月の調査時に膝より高かったイワヒメワラビは冬の間に雪圧でペシャ
ンコになっていた。ブナの実生の横に立てた串もほとんど雪圧で倒されたり流されたり。
それぞれの班に分かれて調査開始。MICKEYは調査地の1、僕らは調査地の2へ移動。
僕らの3班では、調査手順になれているHさんは慣れていないMさんと、僕も慣れている
というので、慣れていないNさんとペアを組む。 
   
   
今の時期、難しいのがブナの冬芽が開ききっていなかったしてまだ小さく、アカシデと
見分けがとても難しい。去年のプロットした図の位置を全て調べて生きている物には新た
な串を立て、枯死した物は串を抜き、プロット図に書き込んでいく。
メンバーが傘をさしてくれるのだが、雨水がかかってやはり記入しづらい。

また去年の串がほとんど刺した定位置にないのでプロット図が頼りになる。
そして何よりも残念なのは、いくつかのブナの芽も他の草本にもすでにハミ跡がある。
やはりネットを上げる時期が雪解けの時期から遅かったのだ!。
   
   
3班担当の柵内のイワヒメワラビの放置区10区画と除去区の10区画、柵外の放置区
4区画、除去区の生きと枯死の本数を全て調査記入し、次は防鹿ネットを上げる作業。
今日も高柳先生と村田さんの掛け合い漫才が聞けてみんなから笑いが出る。

13:15
次に、ウツロ谷のABCプロジェクト保護地区の観察へと向かう。
右手の大きな黒松の木のその右手横に白い花が咲いている木がある。スモモの木らしい。
昔、木地師が住んでいたということが本に載っていた所。その人達が植えた木と書いてあった。

「野田畑には、昔好きでよくきてたね」とMICKEY。「ああ、ホントに好きだった。その頃の姿は
今は悲しいかな、もうないね・・・。」と僕。

野田畑のところを通る際に、高柳先生は意地でも昔の斜面沿いの道を通るという。
沢山のツアーや散策の人が入るようになり、下の平地に立派な広い踏み跡が出来てしまって
いるのだ。僕らもこういう植生へのダメージを考えて歩かないとならないと思う。
話しながら歩いていると下の踏み跡道を2人の男女が逆方向に歩いて行った。
   
 野田畑へ  下にしっかりした踏み跡が・・・
MICKEYは今日初めてこのウツロ谷の植生復活を見る機会となった。
途中で高柳先生は定点観測のカメラをとりはずし、ウツロ谷手前の調査区へ移設された。
定点カメラは50箇所ほど設置されており、昼間と夜の鹿の行動や群れがわかるという。
森の深い部分の尾根には昼でも鹿が写っており、合流地点は人がいなくなる夜に鹿が写る
という。牝鹿がよく写るらしい。今年も猟師の人達に夏前にも猟をして頂くとのこと。
今や、芦生の森の中よりも里に近い所の方が鹿の密度が高いので、猟師の方達には申し訳
ないとのことであった。しかし、この研究林での猟圧での変化も研究対象でもある。
今は1k㎡に3頭ほどの鹿密度となっているらしい。だいぶ減った感じだ。
   
   
もちろん、研究林を通る人も写真に撮られている。年中、林内の植物や鹿の調査をされて
いるFさんは、豪雪の頃にも調査されているのでカメラにちゃんと写っているらしい。
「女性は特に、男性も林内で小用タイムにはカメラに注意ですね!」と男性達が笑う。


高柳先生がウツロ谷の7年間の植生復活の話しをみんなにして下さる。
先生もおっしゃるように、植生がしっかり復活する頃までは僕たちは生きていない・・・。

去年と同じく、アザミの葉などにウサギのハミ跡があった。
ウツロ谷の説明後に長治谷へと行き、作業小屋手前の右(西)斜面の植生の復活と鹿の
頭数のお話し伺った。雨は上がったが、その分ガスっぽく霧が濃くなっている。
2005年3月に、MICKEYと雪の頃にテント泊したテント場をMICKEYが懐かしそうに見ていた。
   
 作業小屋手前の右(西)斜面  長治谷小屋前からバスに乗る
長治谷の小屋前からバスに乗り研究林事務所前まで戻り、集会棟で反省会。
僕も行った、昨年秋の継続調査の説明をHさんが写真資料を基に詳しくみんなに発表して
下さった。

16時に解散。Fさんは今夜、山の家に宿泊し、明日も芦生の森の調査をされる。
「Fさん、これからもまたご指導よろしくお願いします」とご挨拶してから車へと戻った。

僕とMICKEYは芦生山の家に行き、山の家の食堂に飾ってあるHさんの芦生の森の絵を
拝見させて頂いた。わさびの花の絵と芦生の森の沢筋の絵で、いずれも素晴らしい!

今井さんに今日のお礼を言い、新しい「芦生の森 散策地図 」を1枚購入した。
 (帰宅してすぐに古い芦生の地図をはずし、早速新しい地図 59cm×84cmを貼った)

雨の一日で体も冷えたし、河鹿荘に行きゆっくりと湯につかり、MICKEYの好きな鹿肉
料理の「かえで御膳」を頂いて帰路についた。
須後や田歌や美山の、のどかな風景を楽しみながら車で走るのはとても好きな時間だ。
今回も片道90kmの往復、芦生の植生調査と防鹿ネット上げ作業も無事終了した。
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