沢【芦生】芦生研究林・須後から由良川源流溯行し、上谷・櫃倉谷で一周
注:事前に入林申請し、入林許可とテントサイト使用許可がいるルートである
【山 域】 芦生/京都大学芦生研究林 【日 時】 2013年7月27日(土)~28日(日)・1泊2日 【メンバー】MICKEY、矢問 【コース】 1日目:須後-七瀬-大谷-岩谷-スケン谷-中山-長治谷 2日目:長治谷テントサイト-上谷-杉尾峠-櫃倉谷-須後 |
朝5時前で外灯がついている | 何度も出会うアズマヒキガエル |
芦生研究林の規定である2週間以上前に入林申請書を提出し、入林許可と長治谷の テントサイトの利用許可を頂いた。 (参照/芦生研究林の利用案内) 芦生の森には最近も何度も訪れているが、七瀬から中山までをMICKEYと溯行するのは 13年ぶり。13年前は須後から中山まで溯行し下谷から須後へと日帰りで一周歩いた。 「あの頃はお互いに若かったし、もっともっと元気だったなぁ。芦生研究林ではなく、まだ 芦生演習林と呼ばれていた頃だよなぁ」と思い出す。 今回は、観察をしつつ溯行し、許可頂いた長治谷で一泊して、翌朝上谷から杉尾峠を歩き、 櫃倉谷を通って須後へ戻る計画を立てた。MICKEYと上谷を歩くのは、まだ地蔵峠からの 入林が許可されていた頃なので9年ぶりになる。 近頃天候不順が続いている。前夜、美山のかやぶきの里あたりで午後10時半に5分間 ほど雨が降り、深夜2時半には30分ほど雨が降った。午前3時に国土交通省の田歌の テレメータの水量計をネットでチェックすると2㎝アップの31cm。雨も止み溯行には支障ない 増水量と判断したが、七瀬で由良川の徒渉地点現場の水量を見て今日の予定を続行 するか再考することにした。現地で危険だと判断した水位と雨予測なら当然中止する。 (芦生の森ではネットは使えない。帰宅して田歌の水量計の見てみると27日の午前9時 には水位はピークで51cmになっていて、溯行修了した時刻には38cmになっていた。 芦生の森を熟知されているFさんに事前に教えていただいていた60cmを越えると溯行は 危険という水位に9時の段階で51cmとギリギリセーフだったのを知った) 気温は21度と涼しい。芦生の集落に入り、喫茶「いまい」の横まで行ったときにMICKEYが 「うわっ!」と大声。見ると大きな角の牡鹿がしっかりと立ってこちらを見つめている。 1日目(7/27) 4:50 駐車場は僕の車のみ。 雨後なのでトロッコ道はカヅラ谷まで湿っていてヒル天国。沢靴は七瀬で履き替える事に して、須後を予定より30分ほど早く長靴を履いて出発。テント泊の荷物がずっしり重い。 昨日からの雨で由良川本流の方も濁っているが左手の櫃倉からの川の水の濁りがひどい。 「雨が3時前に上がったので、濁りは昼頃にはマシになると思うけどなあ」と僕。 トロッコ道をMICKEYが歩くのは5年ぶり。懐かしがっていた。握りこぶし大の石が動いたの かと思ったら大きなアズマヒキガエル。(この後も二日間、何度も出会った) 雨後でもあり、いろんなキノコが沢山生えていてキノコや植物の写真を撮りつつ進む。 灰野に新しい説明板。ヤマカガシに電波発信器を付けて調査しているらしい。 |
左下に見えるいつもは綺麗に澄んでいる由良川が、今日は底が全く見えないくらい濁っているのが 実に残念。単管の橋の所で「通行止め」の札があるが、許可を頂いているので通過。 |
赤崎から小ヨモギへの朽ちて落ちた橋の所は増水もそれほどなく長靴なので難なく徒渉。 6:00 小ヨモギ作業所小屋跡。大きな銀杏の木は風格もあり健在。ケヤキの林も綺麗だ。 「ここはいつ来ても気持ちいいなぁ。秋の黄葉の頃が一番好きだけど」と僕。 「作業所の小屋があった頃が懐かしいね」とMICKEY。 軽く行動食休憩。「おっ、ヒルだ!」MICKEYの長靴を登り始めていた。退治した。 |
斜面の草が鹿に食べられて土の流出が多いように見える。大きな木の根がどんどんむき出 しになっている。いずれは耐えきれず倒木となるのだろう。 フタゴ谷前の通行止め地点。ここも事前申請通り慎重に通過する。 荷物もあるのでMICKEYにはロープをだして安全を期すことにした。 |
7:20 カヅラ谷作業所小屋跡。河原に下りて軽く朝食。風が吹いて涼しい。 「ここにも作業所の小屋があった頃が懐かしいわ」とMICKEY。 サワグルミの果穂が沢山ぶら下がっている。地面にはカワイイ花も咲いている。 |
「うわっ、あのニオイだわ!」とMICKEY。ここから七瀬まではMICKEYの嫌いなクサギが 群生している。このニオイがいやでMICKEYはこの時期に芦生に来なくなったことがある。 |
8:40 七瀬に着いた。長靴から沢靴に履き替え、沢での転倒時にそなえてヘルメットも装着。 水位は問題ないが、深夜の雨で濁りがまだひどくて、全く底が見えない濁流だ。 (この時点で田歌の水量テレメータでは51cmになっていたと、帰宅してから知る) |
あの綺麗な流れになるのは、もう数時間かかりそうだ。 ストックを出し、深さを確認しつつ右岸へ徒渉。倒木で左岸へ行ったりまた右岸へ行った りしつつ進む。底が見えにくく水深を確認しつつ進むのは思いのほか時間がかかる・・・・。 |
左岸の長いヘツリ部分をMICKEYは良く覚えていて先行。うまいものだ。 11:50 大谷出合。この大谷をBAKUさんやてるさんと溯行したのはもう10年前の11月だ。 七瀬からずっと雨後で水が濁っていたので大谷出合まで時間がかかりすぎたが、 大谷まで来てやっと水が澄み始めた。「綺麗な沢水になってきたよ!」と笑顔のMICKEY。 やっと本来の芦生の澄んだ水の色となった。底もしっかり見える。「良かったなぁ」と僕。 Hさんは最近3度も大谷までの入林許可をとりつつも、天候等の諸事情もあり、ピストンで 絵を描き行けたのは1度きりだったらしいが、大谷への想いはとてもあつかったと思う。 「Hさんは、大谷の絵を描くためにすごい熱意と体力の保持者ね」と感心しきりのMICKEY。 須後から大谷を日帰りで往復すると丸一日かかり、4万歩を越えるのだ。 しばらく休憩していたら、注意していたにもかかわらずブヨに左耳たぶと左首、左手首や おでこの右とやられてしまった。僕はブヨにやられると大きく真っ赤に腫れるタチなのだ。 MICKEYも数カ所やられたが、それほど変化は出ない。「あ~、やられた・・・」と僕。 |
13:00 ツボ谷出合。一ノツボの横、ツボ谷側で、左岸の上部を見つつしばらくルートを検討する。 2000年にMICKEYと溯行したときはここからも沢中を溯行したのだったろうか?。 (あの当時は、ここぞとばかり泳いで通過していったので早く通過できたのだった) |
2003年にはBAKUさん達と逆の岩谷の方から、左岸の山道でここまで来て、大谷を溯行 したことがある。また、2004年はMICKEYと、同じく左岸の山道を通り岩谷からここへ1時間 ほどで来て、すぐ左手の立派な滝があるツボ谷を溯行したことがある。 左岸の山道は今も歩ける状態かどうかわからない。左岸の山道まで左岸の鎖場の壁面を 這い上がっても、その先が岩谷まで崩れていないかどうかは全く不明だし、すごく上部に なり沢床へと戻りにくい位置に山道がついているのは良く覚えている。 検討した結果、ここからは険悪なゴルジュ帯を泳ぎも入れても抜けて行くことにした。 (結果的には、今回は一度も泳ぎは無くゴルジュ帯を通過したが) まず目の前の15mの滝は左から簡単に登れる。次の大きな淵は右から少し上部まで登って 回り込んだがなかなか滑りやすい丸い岩で沢靴のフリクションも効きにくい。 |
ホールドを確認しつつなんとか回り込めたが、MICKEYは最後の回り込みの所で指示し た足場に左足を置かずに岩上を滑り出した!。もう止まらない。左手をとっさに伸ばすと 眼前をスベリ落ちてきたMICKEYのザックのショルダーベルトをつかめた。MICKEYの 足はもう岩から出て宙ぶらりん。数メートルしたの淵にドボンするだけだが、水中に岩が 無いとも限らないので力を振り絞り片腕で引き上げる。MICKEYの体重+ザックの重さ。 「ファイト~!いっぱ~つ!」のコマーシャルじゃないけれど、頑張って引き上げた。 「ありがとう!助かった!」とMICKEYは火事場の馬鹿力にすこぶる感謝してくれた。 「腕がちぎれるかと思った。市民体育館に時々筋トレに行ってたおかげかな」と僕。 |
次の三ノツボも深すぎて足場を探ってもなくて、どうもへつれない。泳いで突破も考えたが、 右手のルンゼを登って左手に登れば何とか越えられそうなので、僕が先行した。 真ん中までうまく登れたが、左へ行く良いホールドがしばし見つからず。 ここであきらめたら先へは進めない。 探し回ると指が少しかかるホールドが、へばりついていた落ち葉の下にあった。 もう1箇所見つけられたので力業で登った。しかし、MICKEYにはちょっと無理だろう。 荷物を先に上げてやるかとも考えたが、頭上のがっちりした倒木にシュリンゲをかけて カラビナをセットしロープをMICKEYに投げてハーネスにエイトノットで固定させ、僕が ビレーする安全策で登らすことにした。 途中からやはりMICKEYもホールドに苦戦していたが、なんとかMICKEYも登って来た。 「ここからはもう難しくないゴルジュ帯だから、あとは荷物が重いので体力勝負。」と僕。 |
膝や太ももまで位の水の中を進むのは、まるで雪のラッセル同様に足に負荷がかかる。 「ダイエットにはいいかもしれないけど、荷物も重いので足が疲れるなぁ」と僕。 右岸や左岸の木々を観察しながら歩く。ツボ谷から山道を利用せず観察中心で谷中を 進んだので、岩谷までが感覚的にも長く感じ、実際、時間的にも3倍近く長くかかった。 |
15:45 岩谷出合。山道なら1時間の所を、ゴルジュ帯を進んだので2時間45分もかかった。 右岸台地で休憩。昔はここでテント泊していた人を見た場所だ。 「ここ、良い所よね。疲れたからここでテント泊したいわ」とMICKEY。 「途中で曇ったときは焦ったけど、晴れだした。ビバークの必要も無いし、許可をもらった 長治谷のテントサイトまで行こう。2004年にMICKEYと歩いた右岸の山道を進んでも良い けど、スケン谷までは沢中を進んで、沢沿いの様子を観察しながら頑張ろう。スケン谷 からは山道を中山まで行けば良い。去年の秋もHさん達と通ったし道は大丈夫。」と僕。 「まだテントサイトは暑いだろうし、日暮れまでにテントを立てれば涼しい時間になるし そうしましょうかね。」と、疲れ切っているはずのMICKEYも同意してくれた。感謝!感謝! |
ここからも濁りがとれた綺麗な水の沢が続く。ただし、丸い滑りやすい岩が続くので滑って 何度か転んでずぶ濡れ。熱い体が冷えて気持ちよかった。MICKEYに笑われた。 16:20 スケン谷出合についた。この奥のトチノキが沢山ある台地が綺麗なのだが、疲れている MICKEYは「今日はトチノキのワンダーランドに寄らずに、テント場へと進みましょう」と言う。 |
スケン谷の出合からは右岸の登山道を使い、中山へと向かった。 この道を歩いた直近は去年の10月。その時と違い、イワヒメワラビが繁茂していてところ どころ踏み跡が不鮮明になっていたが、記憶通りに無事進めた。 途中の登りが疲れた足に強烈にツラかった。中山で少し右手に行って林道に登っても良か ったのだが、左手の上谷量水堰のところから林道に上がる道でカーブミラーの所にでた。 |
17:25 林道に出た。あとは、のんびりとテントサイトまで歩くだけ。 途中で林道左手の枝沢から斜面に落ちてきている水を補給。水はとても冷たくうまい。 |
「長治谷のテントサイトに着いた♪」 | 夕食タイムとまったりタイム |
17:45 長治谷テントサイトに着いた。申請書で出した到着予定時刻からは枕谷に行っていないので 45分遅れのみ。1日目の観察行動時間は「13時間」であった。 「お疲れ様。そして助けてくれてありがとう」とMICKEY。「よく頑張ってくれたね」と僕。 このテントサイトにテントを張るのは、2005年の3月の伯耆大山からの帰りの雪上以来だ。 今日のテントサイトも誰もいない。長治谷の沢音と、鳥の声だけの最高の雰囲気だ。 早く着いていれば、枕谷の調査区も見に行く予定だったが、時間的にも中止にした。 テントを立てて、外でのんびり鳥の声を聞きながら休憩。涼しくて気持ちよい。服は半乾き。 MICKEYは換えのTシャツを持って来ていたのでサッパリした様子。 蚊取り線香をつけて携帯ケース入れた。 夕食はアルファ米と、美味しいレトルトカレーにした。この付近は水質調査もされているので 水の汚染は絶対にしてはいけない。山でよくするようにレトルトカレーの袋に逆にスプーンで ご飯を入れて食べる。「美味しいなぁ」「うん、最高!」とMICKEY。 こうして食べると食器不要で、食器を洗うこともなく水を汚染することはない。 コーヒーを沸かして、ドーナツをほおばり、鳥の声を聞きつつ森の日暮れタイムを楽しむ。 涼しくて実に気持ちがよい。「あ~、素敵な森で幸せな時間よね~」とMICKEY。同感だ。 暗くなり始めた19時半頃に、僕らも来た中山方面からヘッドランプの明かりが見えるとMICKEY。 「だれだろう?こんなに遅く」と僕。 「こんばんは~!」と女性の元気な声。ヘッドランプの男女二人がテントサイト前を通過していく。 「地蔵峠へ抜けて行くのかな?」と思っていると、長治谷小屋をはさんで向こう側の草地でテントを 張っている様子。ヘッドランプの光が右に左にと揺れている。 「ここのテントサイトにテントを張らずに向こうに張るのは、京大関係の人なのだろうか?」と僕。 疲れた足のストレッチやメンテナンスをして、涼しすぎてシュラフカバーをかぶる。 長治谷の水音を子守歌のように聞きながら、21時頃には知らぬ間に心地よい眠りについた。 |
朝食も済ませ、テント撤収だ! | 「 さて、上谷に向かいましょう♪」 |
2日目(7/28) 4時前に起床。月はでているが、次第に晴れつつあるもまだ濃いガスがある状態。 涼しくて気持ちが良い。鹿の鳴き声が響いている。朝食づくり。 マルちゃんの五目ご飯と赤飯の袋をボイル。これも食器不要で水を汚すこと無し。 テントを撤収。沢靴や沢装束をザックに詰めて、ここからは今日は長靴で須後まで歩く。 登山靴では土を削り林床にダメージを与えてしまうらしいので、長靴も今回は農作業用の 靴底のブロックパターンがほどんどない物を履いて歩くことにした。 昨夜は疲れたので、帰路は下谷沿いに林道で帰ろうと言ってたMICKEYも、涼しくて気持ちの 良い朝を迎えられ元気が出たらしく、予定通り上谷から杉尾峠へと由良川源流部まで行き 櫃倉谷へ下り、須後まで植生の変化を観察しつつ戻る当初の申請ルートに同意してくれた。 「木陰で涼しいし、緑も多くて絶対気持ちいいから」と僕。「上谷も久しぶりだしね」とMICKEY。 MICKEYと上谷を歩いた最後は、まだ地蔵峠からの入林が許されていた2004年の11月だ。 5:45 予定より15分遅れで、長治谷テントサイト出発。水や食料は軽くなったが、夜露で濡れた テントはやや重い。しかし、今日は緑のシャワーが楽しみな僕の好きなルートである。 草地のテントの人も起きて出発準備されていた。声を出さずに会釈して前を通過した。 |
6:10 ウツロ谷のABCプロジェクトの調査区の前を寄っていった。 新しいポールやネットが置いてあった。 上谷沿いに進む。オニグルミの実が沢山落ちている。木の上にも実が沢山成っている。 上谷コースの団体ツアーが始まってから、どんどんと林床の踏み跡は広くなり、鹿の食害だけでなく 踏み跡以外の場所の人の踏みつけで草花がどんどん減っていったのを2004年に見て残念に思い、 その後、地蔵峠からの入林が制限されてからは、植生復活を願いつつ上谷には来ないようにして いた。今回、9年ぶりに入林許可を申請し許可を頂き上谷を歩いているのだが、その当時以上に 地肌がむき出しになっていた・・・。 「一度失った自然は、調査区のように保護しないと10年やそこらでなかなか戻らないな。」と僕。 |
老齢段階の森では、立派な老木も風などの攪乱や、自分を支える力がなくなったりして倒木と なったものも多々目にしたが、その倒木のおかげで樹冠が開いたギャップが出来、光環境が 変わり、新たな遷移が始まって二段林的にパッチ構造になっている所もあちらこちらに出現。 「頑張れよ」と森林の物質とエネルギーの移動と循環にエールを送った。 木の根元にはキノコが顔を出している。 樹木はキノコと菌根を作り、樹木との共生関係が成り立っているのだろう。 藪陰に隠れていたキジが、僕たちの足音にびっくりして飛び出し、飛んでいった。 |
「木陰の多い涼しくて、緑の綺麗なルートだし、下谷からの林道で帰らずに良かったわ」と MICKEY。「下谷には下谷の良さがあるよ。上谷も以前はもっと草本類が多くて良かったよね。 しかし、いつ来ても気持ちの良い森だよなぁ」と上を見上げる僕。 トチノキの葉の一部が、真っ赤になっているのがあるのをMICKEYが見つけた。 そのあとも時々見かけた。 大きな鹿が2頭前方にいて、僕らに驚き大きな声を発しながら急斜面を登って行った。 沢山のキノコがあちらこちらに顔を出している。「森の分解屋さん、しっかり良い土壌を 作って、豊かな森にしてやってくれよ」と声をかけつついろんなキノコの写真を沢山撮った。 |
途中の沢筋に小さなネットが張ってある。今年の3月に許可された大阪の高等学校の 「ショウキ欄の開花状況」の観察ネットと書いてある。来年3月までの許可らしい。 |
7:10 上谷の団体見学で最もイベント化されたトチノキの熊穴。熊はもう以前から使わない。 その木の周囲は多くの人に踏みつけられて、草本類は9年前よりずっと広い範囲で無くな ってしまっていた。 「植生の復帰を楽しみにしていたのに、さらにひどくなっているね・・・」とMICKEY。 しばらく歩くと、また先ほどと同じショウキランの開花状況調査のネットがまたあった。 |
ジワジワとゆるい傾斜を杉尾峠へと登る。「きつくない傾斜でうれしいわ」とMICKEY。 倒木を越えると由良川源流の水は消えてじわっとにじみ出すところに白い杭。 「ここが昨日溯行した由良川の源流のスタート地点ね」とMICKEYがしみじみという。 「前来たときも同じ事を言ってたな」と僕が笑う。 「あ、これたぬきの糞じゃない?」とMICKEY。Fさんがたぬきの糞調査をされているので 僕に言ったのだ。「どうだろう・・。テンの糞にも見えるし・・」と僕。 記憶にある谷間に横たわる2本の巨木の倒木はチェーンソーで切られたらしく、地面に 転がっていた。何年もかかってまた土壌へと分解されて、森の土を豊にする役目だ。 7:30 杉尾峠765m。「私、ここは9年ぶりね」とMICKEY。 ガスが出ていて展望が利かない。その先を登り、分岐を林道に下りていく直進ではなく 少しでも展望が利くかと、左の上への登りルートを登ったが、日本海側は遠望出来ず。 林道へと下って行った。木の土止めが施されていて、そこの際にいろんなキノコが多い。 |
7:45 林道にでた。「あっ、これもたぬきの糞じゃない?」とMICKEY。写真を撮る。 「これもテンの糞と思うけどなぁ」と僕。 BAKUさんやゲキさん達と10年前に中ノツボを溯行した帰りは、この目の前の落ち葉の 降り積もった谷筋を直接下りて、櫃倉谷へと下ったのだが、7年前の夏7月の公開講座で 「芦生演習林・植物の手引」の著者である中根勇雄先生と、この辺りの植物も説明して 貰いつつ歩いたときに、もう少し左手へ林道を進みカーブの所で櫃倉谷へ下る細い下り道 があったのを記憶している。「この谷を長靴で下りずに、もう少し林道を左へ進もう」と僕。 7:50 林道のカーブの所に道標が裏向きに立っており、裏を見ると櫃倉谷への下り道とある。 草で入口が見えないがここに間違いない。「あったぞ」少し草をよけると下り道が始まった。 「よく覚えていたね」とMICKEY。MICKEYが先行して下る。10分で谷筋へ着いた。 途中の枝沢の所で、フルーツゼリーのパックのを冷やしてつるりつるりと食べた。 「沢水で想像以上に冷えて、本当に美味しいわ!」とMICKEY。 |
1時間ほど谷の中の踏み跡沿いに進むと右岸の岩場。古いロープがある。「長靴なので 滑らないように気をつけろよ」と僕。「了解」とMICKEY。そういいつつも滑って転ぶMICKEY。 「転んだ回数は私の方が少ないわよ」とMICKEY。「へへへ、おっしゃる通り・・・・。」と僕。 9:40 板谷出合。「2005年に権現峠(坂)へ行ったときにここを通過したね」とMICKEY。 「ここまで来たらもう2時間くらいで須後に着くよ。ゆっくり森を観察しながら歩こう」 目の前を立派な鹿が飛び跳ねて行った。「綺麗な鹿だったなぁ」と僕。 「この櫃倉谷も静かでいいね」とMICKEY。 しばらく進むと女性が先頭で、ヘルメットをかぶりライフジャケットをつけた小学生20人位を 連れた団体さんがやってきた。「おはようございます」と挨拶。 「どこまで行くのかしら」とMICKEY。「もう少し先に、僕らが左岸の山道で来た所を沢沿いに 行くと、ジャブジャブできる小滝などがある所があるのでそこじゃないかな」と僕。 このあとマツカゼソウが多くあり、良い香りがした。 10:05-10:20 横山峠手前。中ノツボ谷の出合。秋に綺麗なところでゲキさんが「住みたい」と言った所だ。 BAKUさんやゲキさんと中ノツボ谷を溯行して、櫃倉谷を帰ってきたのはもう10年前になる。 この谷には貴重な花がまだわずかに残っているらしく、大切にしたい谷筋でもある。 「あとはこの峠を登って下り、渡渉して左の林道に出たらひたすら林道歩きだから、ここで ゆっくりと最後のコーヒータイムにしよう」と僕。コーヒーを湧かしてゆっくりタイム。 出発しようと用意をしていると、後ろから2人の男女。ザックにマットも見えているので 「長治谷の草地でテント泊していた人じゃないかな。遠かったのでよくわからないけど」。 僕らの前を通り、中ノツボ谷の方へ行きつつも右上を見て止まっている。 |
僕が横山峠のパッと見た目わかりにくい登り口から登り始めると、お二人もこちらへ来た。 横山峠を越える予定のようだ。 MICKEYが少し準備に遅れていたので、お二人に道を譲って先に行って貰った。 女性はスニーカーだった。下って行くと、もうお二人は渡渉して林道を下るのが見えた。 |
10:30 倒木をくぐり、渡渉して林道に出た。車が3台あった。あの小学生達の団体のだろう。 木陰の林道で暑がり二人には実にありがたい。いろんな草花や木を観察して歩く。 11:00 落合橋。下谷からの合流地点でもある。「もう林道・櫃倉線を2.1km歩いて来た。研究林 まであと2km。頑張ろう」と僕。「まだ2kmもあるのね。しかも、ここからはアスファルト道 だし足が疲れそう。」とMICKEY。 時間はたっぷりあるし天気も良いし、急ぐ事はない。風が通るところで休憩しつつ進む。 ここからもいろんな草花や樹木を観察しつつ歩く。 蜂蜜を採る蜂の巣箱のも1つ2つ見えた。 |
根元に 蜂蜜をとる巣箱 | 「須後に着いたよ♪」 |
11:30 須後・研究林の入口に着いた。 釣り姿の年配の男性が森の地図看板を見ておられたので挨拶した。 二日目は申請した予定時刻より2時間半早く無事下山てきた事を、仮入林届けのボックスに 入林許可番号と共に記して投函しておいた。 駐車場は先ほどの釣りの男性の車も含めて10台ほどの車が停まっていた。 「おつかれさま~」とMICKEYが握手をしてきた。「よく頑張ってくれたね」と僕。 駐車場の協力金箱に、手持ち小銭の500円を入れて出た。 夏休みで河原のキャンプが大賑わいで、中国人の団体も食事に来ている河鹿荘に寄り、 先に汗を流す。キャンパー達の入浴で夕方は混むが、この時間はお湯は空いている。 脱水状態なのか3kg減っていた。「本当に減っているのなら実に嬉しいのだが、きっと違う。」 鹿の命を頂く事に感謝しつつ、MICKEYが大好きないつもの「かえで御膳」の鹿肉ランチにして 鹿肉カツも単品追加した。次男へのお土産も鹿肉カレーや鹿肉ソーセージにした。 観光バスや自家用車で満杯のかやぶきの里を横目で見つつ走行。 気温は31度でかんかん照り。昨日の出発時は21度。芦生の森が実に涼しかったことに感謝。 15時半に帰宅完了。湿ったテントを干し、ザックや沢道具を水で綺麗に洗って干した。 ブヨにやられたところが夕方には、真っ赤になり大きく腫れだして痒いのなんの・・・。 MICKEYはそれほどでもない。本当に僕はブヨに弱い体質らしい。薬を飲み、薬を塗る。 久々に芦生の森のすばらしさに包まれた時間を過ごせた。 なぜか、昔からあの森を歩くと、不思議と気持ちがスーッと落ち着くのだ。 貴重な草本や木本を有している芦生の森は、いつまでも元気であって欲しいし大切にしたい と今回もつくづく思った。撮った写真は2日で300枚を越えている。 撮った写真を見つつ、草本や樹木、キノコなどの本で名前なども調べて勉強したい。 歩数計を見ると、1日目は23,518歩、燃焼脂肪85.6g、37,08kcal、この1日目の歩数は沢中を 歩いていたのでポケットもフワフワ浮いており、あてにならないと思う。 2日目は 19,951歩、燃焼脂肪58.1g、2,996kcalと歩数計が表示していた。 翌日はこの2日間とは違い、朝から雨で昼前にはとても強い雨が降った。 「本当に天気に救われて芦生の森を楽しめたね」とMICKEY。本当に僕もそう思った。 |
芦生の森のことではいつも的確なアドバイスを頂いているFさんによると、Fさんのように 芦生の森を毎週調査入林されており、由良川源流の遡行にも熟知され、通過場所さえ 知っておくとそれほど難しいところは無いとのことである。三ノツボを右の岩場から越える ときに、ルンゼ状の所をまたぐのが少し悪い程度とのことだ。MICKEYにロープを出した ところである。淵は以前よりも浅くなっており、遡行は本来楽になっているらしい。 僕らがやや苦労したのは、沢沿いにある山道の状態を最近は全く通っておらず確認できて いないことや、長らくこのルートを溯行していないので通過ルートの記憶が曖昧で明確に 思い出せず、テントや水や食料を背負いへツリでバランスを失いやすい事から、それも苦 労した理由だろうとFさん。今回は沢沿いの山道よりも沢中を歩くことに重点を置いてみた。 なお、MICKEYが「たぬきの糞かもしれない」と言ったものは、Fさんの写真鑑定によりやはり テンの糞とのお返事をいただいた。「う~ん、残念」とMICKEY。 |
2日間のルート |
1つ前は「【北摂】岩根山から鳥脇山で早朝短時間のボッカ訓練」の記録です |