15年ぶりの御嶽山から継子岳


【山 名】御嶽山(剣ケ峰3,067m)・摩利支天山(2,959m)・継子岳(2,859m)
【日 付】2013/09/20(金)~21(土) 前夜発
【天 候】20日(金) 快晴 /21日(土) 快晴
【メンバー】MICKEY、矢問
【ルート】20日:田の原から王滝口登山道-九合目-王滝頂上-剣ケ峰
         -二ノ池-サイノ河原-摩利支天山-飛騨頂上
         -五の池小屋-継子岳-五の池小屋 泊
     21日:五の池小屋-サイノ河原-二ノ池-日出の門-王滝奥の院
         -田の原 
【地 図】昭文社 山と高原地図「御嶽山」 +1/25,000地形図 
某試験の受験も終わり、3ヶ月ほど登山らしい登山には行っていない。超運動不足・・・。
相棒が行ったことがないという御嶽山に15年ぶりに行くことにした。家を18時過ぎに
出たが、先日の台風18号の被害で、名神高速道路も八日市-彦根間が21日まで「災害
通行止め」とのことで、その間の下道が大渋滞で、予定より1時間ほど遅れて田の原の駐
車場に夜中1時過ぎに到着。明後日から3連休、その1日前なので駐車場の車はまばら。
とても静かな数時間の車中泊ができる。「座席をフルフラットにしてさて寝るぞ~。」

午前4時に起きてゆっくり準備と朝食をとる。晴天の月明かりで星が降るようには見えず
やや残念。「8時ごろからゆっくり登ればいいのでは」と相棒。「ここは南斜面で、上に
行けば行くほど陰が全く無くなり、僕らには地獄の暑さになるルート。涼しい時間にできる
だけ上部まで登っておきたい」と僕。長袖上着とフリースのベストを着ていざ出発。
   
   
 5:30
用意してきた登山届けをトイレ前の登山届けポストに投函し、鳥居をくぐって出発。
すぐ右のオオシラビソの幹が3mほど上でボキリッと折れて上部が地面に落ちている。

これも台風の影響だろうか。鳥居や祠があるたびに相棒はちゃんと拝んでいる。
最初は枕木などで整備された階段状の道。前も後ろも相当離れた位置に人が見えるだけで
相棒と2人して静かにマイペースで木本類や草本類を観察しつつ登れるのはありがたい。
「今日は人もまばらで静かに登れる。明日の下山の頃は信じられないくらいの沢山の人の
列がきっと登って来るよ」と僕。「こんなに空いているのに・・・信じられないわぁ」と相棒。

ナナカマドが色づき始めている。オオシラビソの紫色の球果も綺麗だ。
   
   
御嶽山は独立峰で、木本類も草本類も動物も世界にも誇れる垂直分布の点でも生物多様性
の豊かな山であったが、その昔、国の林業施策で亜高山帯はもちろん、高山帯までも皆伐
して成長の早いカラマツなどを植林した。しかし、それは即座には収入には結びつかない。
そしてよくある放置林が増えて山は荒れていき、次は第三セクターなどのスキー場開発の
施策が儲かるとまたまた山肌の自然が削られ破壊されていき、昔のすばらしい自然を国の
施策によって失ってしまった、なんとも痛々しい近年の歴史を持つ信仰の山なのである。
   
   
登りつつ、振り返るとすばらしい雲海の景色。上空は雲1つない快晴。もう2人ともTシ
ャツ1枚になった。風は冷たいが陽射しはキツイ。「ホント、涼しい時間に登りはじめて
正解のルートね。それにしても私たちの食料や荷物、多すぎない?」と相棒。 

イワギキョウや相棒の好きなイワツメクサも咲いている。
   
   
3日ほど寝不足続きの僕はもうバテて息が切れ始めている。呼吸に合わせてゆっくり
ゆっくりと登る。休憩していると「下の右手の道を下ってきている人が見える」と相棒。
「あっ、もくもくと登っていて見落とした。15年前と同様に先に奥の院へ行く予定だっ
たけど、帰路にしよう」とバテ気味の僕。吹く風がとても冷たい時間なので救われる。
   
   
7:40
15年前は涸れて出ていなかった「一口水」の水が出ていた。
コップも置いてあったので、2人ともごくごくと飲んだ。「冷たくてうまい!」

「天気は最高!風は冷たくて気持ちいい」と相棒のペースは全く落ちない。
「木曽の御嶽山は~♪」と明るく口ずさみながら、相棒は先にどんどん登って行く。
僕はもうついて行けないので、休み休み呼吸を整えながら、マイペースで登る。

8:25
上を見ると、相棒が上で手を振っている。王滝頂上に着いたようだ。「元気だなぁ。」
王滝頂上からは木々も草も無い荒れた山肌になる。山頂がもうすぐ近くに見えているが、
今まで以上に背中からの陽射しがきつくて暑がり2人は苦笑いしながら登る。 
   
   
9:05
剣が峰 3,067m、山頂に着いた。ガスは全く上がっていない。快晴!!
記念写真を撮り「ここから日本最高所にある二の池を含む北の景色を見せたかった。
快晴で何よりだった。ガスがでていたら景色が台無しになってしまう。」と僕。
「うわ~、本当に綺麗な色の池よね~!すばらしいわ~!」と笑顔の相棒。

独立峰なので360度最高の眺めだ。北に乗鞍岳を手前に野口五郎岳、奥穂、前穂、
常念岳、蝶ケ岳とパノラマが素晴らしい。東南には八ヶ岳に富士山。
 
無線機FT1Dを出してAPRSを発信した。しばらくこの無線機も触っていなかったので、
メッセージの入力方法を思い出すのに時間を要してしまったが、なんとか発信できた。

ぐるっと時計回りで一ノ池のおはち巡りをするか、一の池の真上を横切って二の池へ
行くかおはち巡りの起点でルートを見ながら検討したが、どちらもやめて小屋の横からの
二の池へのルートをとることにした。今日もここからピストンで戻る人が大半のようだ。

小屋の所まで降りて記念Tシャツを見ていたが、今買うと荷物になるし帰りに買う事にした。
(歩き始めてから気づいた。帰路はこの小屋の前を通らないのだった・・・・)
   
   
二の池へのルートに入ると、先ほどの山頂の人の数とは比べものにならない位に減った。
「御嶽山に来て良かったわ~。人は多くないし、静かな稜線を歩けて最高!」と相棒。

10:15
二の池小屋の横で万年雪を背景に記念写真を撮る。斜面にはまだしっかりと雪がある。
古い鳥居はまだあった。15年前に人が立っていると思った池の畔の赤い布をかけて
あった霊人像も健在だった。15年前に朝日に映えて山肌が美しかったのを覚えている。
15年前に泊まった覚明堂はここの水を浄化して利用していると聞いたのも覚えている。

小屋の左横を通って二の池小屋の別館方面には行かず賽の河原へと向かう。
眼下に賽の河原が見えた。「うわ~、ここが賽の河原なのね」と相棒。
「15年前、1人で歩いていたときはちょっと不気味だったよ・・・」と僕。

石積みが沢山ある賽の河原を歩きながら「一つ積んでは母のため~♪二つ積んでは父の
ため~♪」と相棒は口ずさみながら歩く。賽の河原の言われはよく知られている。
もちろんのこと、大きな石積みの上にお地蔵様もある。

ここから摩利支天越までまた登りになるので、賽の河原のど真ん中で休憩した。
山の斜面に囲まれた盆地のような地形で冷たい風が良く通る。座りやすそうな岩や石の上
には石が積みあげられているので、座る場所を探すのにちょっと苦労する地帯とも言える。
   
   
11:25
摩利支天越えへの登りで、また僕はバテバテ。相棒は先に登っていき姿が見えない。
きっと峠の祠前で待っていると思ったら、そのさらに左上の展望所の所にいた。もう摩利
支天山に行ってきたという若い女性と話しをしていた。1人の男性がだいぶ先に摩利支天
山の方に進んで行ったらしい。

「僕はここに荷物を置いて空身で行く・・・」「えっ、珍しい。いつも荷物を担いでいくのに」と
相棒。「寝不足でバテバテだし・・・」2人とも貴重品のみ持って空身で摩利支天山を往復
することにした。摩利支天山まであと少しと言うところで摩利支天山から戻ってくる男性と
すれ違った。

11:50
摩利支天山(2959m)頂上。15年前には切り立った頂上にポールが1本差し込んであっ
たが、今はそれはなく山頂札が刺してあった。

「ここに2人で来るとは思わなかった。記念写真を撮ろう」と僕。
「ここもいい景色ね」と相棒。西北に白山が綺麗に見える。
   
   
摩利支天越えまで戻り、大岩の日陰でお湯を沸かして、コーヒータイムにすることにした。
相棒はバテている僕に大岩の陰の部分に座るようにと場所を譲ってくれた。感謝。

もう眼下に見えている五の池小屋へ下るだけなので気が楽だ。五の池小屋は3年前に建て
替えられて真新しい姿になっている。二の池へ下って行く道で抜きつつ挨拶した男性2人が
登ってきて先に五の池の方へ下って行った。

「右手に見える三の池も綺麗ね」と相棒。「ここの水は飲めると15年前に覚明堂の兄さんが
言っていたなぁ」と眼下の三の池を見ながら僕が言う。
五の池小屋の方からご夫妻連れが登ってきた。少しお話しした。

13:15
飛騨頂上・五の池小屋に着いた。今日の宿泊者はまだ誰もチェックインしていないらしい。
「すごく綺麗に生まれ変わったのですね。」と僕。(1泊二食付きで9,000円。)
15年前にキャンセルし泊まらず通過したことなどを話した。「明日は混みますが今日は
連休1日前で空いてます。よ~し、特別に奥の新館の4人室をお二人で使って下さい。
右の上の部屋が景色も一番いいのでオススメですよ。」と言ってくださった。感謝!
   
   
   
「綺麗な部屋に寝具もいい感じ」と小屋泊まりが嫌いな相棒も満足そう。なによりも4人
スペースを2人で使えるのは実に値打ちがある。窓も二重窓で冷たい風が気持ちよい。
カーテンを閉めて、Tシャツや靴下を替え、大の字に寝転んだり、ストレッチをしつつ
2時間ほど休憩した。徐々に他の部屋にも到着者の様子でグループの声がする。

15:25
翌朝、15年前と同じルートの継子岳に行き時計回りで三の池へと行くつもりだったが、
夕食まで時間もあるし、小屋のお兄さんのすすめもあって、水筒だけ持ってここから30分
ほどの継子岳へ夕食前の腹ごなしに稜線往復散歩をすることにした。
涼しい小屋で寝転んで休憩したので、体がとても楽になっている。

15:45
継子岳頂上(2859m)。空身なので20分で着いた。
前は原爆ドームのミニ版のような中に祠があったがそのドームが見当たらない。
横の歌碑はそのままあった。少し下った所に大きな石積みがあり、そこに祠があった。

北の乗鞍岳を手前に野口五郎岳、奥穂、前穂、常念岳、蝶ケ岳などのパノラマが今回も
素晴らしくよく見える。「来て良かったわ~。山頂を独占ね」と相棒。明日予定していた
ルートを四の池方向を見ながら説明した。「明日はもうここに来なくてイイネ」と僕。
   
   
16:25
五の池小屋に戻り、小屋の本棚の中の御嶽山に関する本や写真が多々あり、あれこれと見る。
「世界的な自然遺産・御嶽山の自然」と言う本に目がとまった。

小野木先生達、岐阜県自然保全連合編で1999年に発行された、世界に誇れる生物多様性の
豊かな御嶽山が国のずさんな林業施策や第三セクターのスキー場建築で、このすばらしい
生態系を持っていた信仰の山がどのように悲惨な姿にされていったかが実によくわかる。
植生や動物はじめ、写真や図も多く、とてもすばらしい解説本だと思う。

この本を読むと、どうして御嶽山の亜高山帯から高山帯にかけてまでカラマツだらけなのか、
また山肌がこんな植生になってしまったのかの疑問が解ける。

この本の最後の「おわりに」に書いてある言葉が頭に残った。
「自然は子孫からの借り物です。今に生きる人間には利子を付けて後世に残す義務・責任が
あるはずです。自然は人類共有の財産です。今に生きる人間はその元金までに手を付け、
もう5~6割をも取り尽くしてしまいました。その上さらに残っている元金を今また地域振興の
名のもとに取り崩そうとしています。この子供達の未来のために残してやれる最大の財産は
金でも建物でもなくそれは自然です。山村は山村、都会は都会、山で生活する本来の楽しさを
忘れ工業的経済生活を追い続ければ都会の真似事の発想しかできません。
生きる知恵を磨き鍛える場として山村は今何を目指すべきでしょうか」


その他にも「悲劇の山・受難の山 それが私です」というページにも色々と示唆に富んだ言葉が
並んでいる。

そして近年のニュースでもあったが、今また風力発電にこの山を利用しようという動きが
あり、過去の教訓を踏まえず御嶽山の自然を今以上に破壊しようとしていることに、この
自然保全連合の方達が御嶽山の自然の大切さを訴えて警鐘を鳴らし続けているのだ。

17時半からの夕食は17人。100人収容の小屋が今日は食事時もゆったりだ。
美味しく頂いて、日の入りの夕日を見に小屋をでたところのテラスで眺める。美しい。
夕方はもう冷える。長袖上着にフリースのベストを着た。

歯磨きも終えて煮沸水を3L買って(1L=100円)部屋で寝転んでると、消灯の21時前に
暖かい布団で寝入ってしまった。
そのせいで夜中の1時過ぎに目が覚めてしまい4時過ぎまでゴロゴロしていた。

歩数計は、11,542歩 燃焼脂肪64.4g と出ていた。たったそれだけの歩数だったのだろうか・・・。

2日目 (9月21日)
5時に相棒を起こし、ゆっくり外に出て日の出を見る準備。今日の日の出は5時35分。
小屋の受付前の薪ストーブが明るい。すぐ横のヘリポートの高台からご来光がよく見える。
外は氷が張っており、霜柱が立っている。フリースにダウンの薄い上着を着たが、早朝の
冷たい風は体温を奪う。昨日は雲1つない快晴で、今日はほんの少しだけ雲がある晴天。
「すばらしいね~!!」とご来光を拝みにヘリポートに出てきたのは10人弱。
フリースやダウンを持ってきていない人は寒くて出てこれないのだろう。

富士山のてっぺん部分も昨日より見える。「富士山でもご来光を見て、向こうからもこっちを
見て、あれが御嶽山だ、と言っている人がいるのだろうね」と相棒。
   
   
   
5時45分からの朝食を頂き、小屋の人たちにお礼の挨拶をして、摩利支天越えの東側に
あるトラバース的な下道を進む。寒いくらいの気温が僕たちにはありがたい。
   
   
   
   
二の池からも剣ヶ峰の東側のトラバース道で王滝頂上へ。ここも15年前に通った道だ。
田の原の駐車場がはるか下に見える。昨日とは雲泥の差。駐車場が満杯で道路の路肩まで
車が駐車しているのが見えるし、バスも見える。今朝は半端じゃない数の人たちが登って
きているのだろう・・・。
   
   
8:00
王滝頂上に着いた。昨日より人は断然多いが、まだ早い時間なので登ってきている人たち
はここまで達していない様子。昨日スルーした奥の院の方へと進む。誰も歩いていない。

日出の門に着いた。「ここからのぞくと剣が峰が見えるよ」と相棒に教える。
15年前には月の門からここまで斜面反対側の道じゃないルートを来たのを思い出す。
   
8:15
奥の院。道はさらに先の地獄谷をのぞき込む所まで道はあるが、「今日はあまり噴煙もでて
いないし、今日はここまででいいや。」と二人ともしばらく休憩。15年前は先端まで行った。
どんどん下からアリの行列のように登山道を王滝頂上へと登って来る人たちが見える。

奥の院から田の原へ下る登山道へのトラバース道を下る。途中で2人の年配の男性とすれ
違った。1人は全く息が乱れていない。もう1人は息が切れてヘロヘロの様子。

8:40
登山道に出てからが大変。広い所は良いのだが、このルートは下まで何カ所も狭いところ
があるために「登り優先」で待たないとならない。高校生の団体や、多人数のグループも
多くてバス1台分、2台分の人を待つ必要がある箇所もある。狭いので終わりが見えない。
「まあ、急ぐ旅でもないしゆっくり行こう」と僕。

小学生や幼児連れまでいるが、この暑い時間にこの斜面は地獄のはず。子供達はぐずって
いる。15年前もこんな子供達を見た。若い女性が頭を抱えて座り込んでいたり、空身で
もふらふらの女性もいる。「こんな暑くて遅い時間に登るのはキツイだろうなぁ」と僕。
「もっと早い時間に登らないとね。しかもハイキングのような少ない荷物の人が実に多いね。
雨具も入って無くて、飲み物もろくに持って来ていないみたいね・・・」と相棒。

僕らはフリースやダウンや双眼鏡や無線機やツェルトやガスやコッフェルやお助けロープや
食料など二人ともしっかり大きな荷物を担いでいる。
「天候の急変や何かあっても対処できる準備をしているか、予期しないことは起こらない
だろうと、勝手な期待値で山に来ている人との違いかな。でも、ちょっともって来すぎたのは
事実だけどね。体も重いし、荷物も重たい!」と僕。

まだ五分の一も登ってない所で「まだまだなの?もうダメ~」と男性に言っている山ガール。
若い男性もこの山がはじめてのようで、自分のいる位置が地図を見てもわからないみたいだ。
「まだ登り始めたばかりのここでしんどいなんて・・・」と、その会話を聞きあきれている相棒。
   
10:10
田の原の駐車場に着いた。用意していた下山届けに時間を記入して出す。
「お疲れ様~」相棒と握手。駐車場は満杯で道路の路肩まで長い駐車列になっていた。
本日の歩数計は、10,696歩 燃焼脂肪53.9g と出ていた。もっと歩いた気がするが・・・。

真ん前の三笠山に登っていく人もいた。僕らは汗を流すべく、御嶽山を露天風呂から眺め
ながら入れる御嶽明神温泉やまゆり荘のある開田高原へと移動。途中のトンネルが
水漏れで通れずガソリンスタンドの男性の案内で迂回。すぐ近くにあった観光案内所で
御嶽山のTシャツを購入した。御嶽山のトレイルラン関連のTシャツもあった。
 
 やまゆり荘と御嶽山
開田高原はそばや木曽馬の名産地。この地区の嫁入りする年頃の女性はすべてそばが打て
ることで有名で、開田の女性はそばでおもてなしをするという。
やまゆり荘の割引券を家で出力して持参したので540円。湯は透明だが、湯船では酸化
して茶色くなる。柔らかい湯だ。温泉の食堂でもそば打ちしているのは中年の女性陣。
少し太めの平麺でとてもおいしいそばである。大盛りを食した。岩魚の塩焼きもおいしい。

あとは母や息子のお土産を買いながらのんびりと帰るのみ。前方に駒ヶ岳も大きく見える。
道の駅があれば寄り道しつつ帰る。渋滞を避けるべく、高速のSAで4時間ほど車中で
ぐっすり寝て、がら空きの高速を快走し、割引時間の22時過ぎに高速をでた。
往復740km。久々の遠征で、天気にも展望にも恵まれ、かわいい花も見られて、小屋も
すばらしくて楽しい良い時間を過ごせた。 冬までに体重を落として元に戻さないと・・・・。 

追記:小野木先生の「御嶽山の自然」という著書を是非再読したくて小野木先生に御嶽山の
    山小屋で読んだことと、本の料金の送り方を教えて頂きたくお手紙を出した。
    10月6日(日)に小野木先生からあたたかいお返事と共に貴重な著書を送ってくださった。
    小野木先生、ありがとうございます。再度勉強するとともに大切に致します。 

 御嶽山での2日間のルート
 
   この1つ前は「【芦生】芦生の森の防鹿ネット内継続観察調査とネット外調査区画作業2013」の記録です