【北摂】冬枯れモードの2月の舎羅林山
【山 域】北摂・舎羅林山(264.5m) 【日 付】2013年2月3日(日) 【コース】能勢電鉄・平野駅-舎羅林山-「八廣山 五社大神鎮座」 -九頭神社(九頭明神)-能勢電・多田駅 【メンバー】MICKEY・矢問 |
1月中旬に8日間ほど真珠婚旅行と称して、フロリダのディズニーワールドとNASAで楽しんで来た。 プリンセス達とのランチやディナーは最高に楽しくて、NASAの発射台や工場見学は勉強になった。 しかし、アメリカの食事の量たるや半端じゃない。周囲は肥満体の男女だらけ。セーブしていたつもり だが帰国して体重計に乗って愕然・・・・。えらく体重が増えているではないか!! トホホホ・・・。 トレーニングジムだけではなかなか落ちない。今日は出発時間が遅いので、遠出は出来ない・・・・。 「今日も1月に続き、近場の里山お散歩ハイクに舎羅林山へ行くか~」と簡単な準備で家を出た。 いつもの逆コースで平野駅から、舎羅林山へ登り、MICKEYの歩いたことのないという せせらぎ沿いで伏尾の道に出て、これまたMICKEYが行ったことがないという九頭神社 を通って多田駅へと歩くコースにした。 やまあそさんがMTBで山下の旧道(古道)を走っているらしい。昼から会うことにした。 駅前で音羽寿司の方が恵方巻きを売る準備をされていた。「1本頂けますか」と買う。 |
住宅地の最後から登山道へ | 冬枯れの静かな道 |
9:45 平野駅前を出発。今日の取り付きは、いつもの逆ルートなので協立温泉病院の裏の 住宅街を登り山道へと入る。MICKEYはすぐに半袖になっていた。今日は暖かい。 |
展望岩から | 右手(東)は造成も中断 |
青山短大のお城も見える | 「さあ、舎羅林山へ」 |
10:05 展望岩。1月よりも展望は今日の方がマシで遠くまで見える。 無線機でやまあそさんをコールしてみたが応答なし。しばし休憩。 展望岩から一旦下ると右手から数人の年配の人達が登って来るのが見える。 僕らは山頂へと向かう。 |
舎羅林山 山頂 | このお地蔵様の奥へと進む |
10:20 舎羅林山の山頂。誰もいない。静かだ。 駅前で買った恵方巻きを、半分ずつ今年の恵方「南南東」に向いて「ガブリ!」 今日は東進して「八廣山 五社大神鎮座」の所へ行くのではなく、一旦南下して昔の道か ら北進して行くことにする。(前回通ったときにゲートが開いていた。ずっと以前は伏尾 ゴルフ倶楽部がつけた網ゲートは無かった) 今日もゲートは開いていた。ここはお参りする人がゲートの右手から入っているので、 ずっと先まで踏み跡がしっかりしている。 「子供が小さかった頃はゲートもなくてここから山頂へ行ったんだけどなぁ」と僕。 しばらく歩くと右手にゴルフをする人が見える。右手に手洗場だったのか、岩に水溜の穴 が掘られている岩がある。その先にお地蔵様が見えると、先月も来た鳥居と井戸の所。 |
お参り | ろうそくと榊が |
10:30 お参りされているらしく、新しいろうそくと榊が一対あった。 僕が井戸の中をのぞいていると「貞子が出てきそう・・・フフフ」とMICKEYが脅す。 お参りして、下山開始。 今日は途中のお地蔵様の手前からMICKEYは初めてという、左手の沢沿いを歩く。 最初は右岸、そして左岸に渡る。冬枯れの良い感じのせせらぎ沿い。 |
沢沿いの道で | 左岸から右岸へ |
「舎羅林山にもこんな雰囲気の所があるのねぇ」とMICKEY。 「里山もいろんな表情を持っているよ。この沢沿い道も昔はよく使われたと思う。」と僕。 「長尾山の方に行くには左に行くけど、今日はそのまま右の方に行くよ」と分岐で言う。 一旦沢の中に下りて右岸に上がる。右の斜面沿いに歩くと舗装路のフェンス末端の所に 出る。「よくこんな所を知ってるね」とMICKEY。「舎羅林山もいろいろ歩いてるのでね」と僕。 そのとき、やまあそさんから無線コールがあり、お昼過ぎに僕の家で会うことにした。 |
「ここに出るのね」 | 右手上部にもお地蔵様 |
ここからはアスファルト道をどんどん下る。吉田への峠の手前を右(西)へと下る。 途中の左手やや上部にもお地蔵様がある。 「九頭神社も行ったこと無いんだろ?小さいけど、このへんでは有名なんだよ~」と僕。 |
九頭明神 | お参り |
11:15 途中で九頭神社への道へと入り、寄り道。 「へ~、こんなところに九頭の社があったなんて全然知らなかった」とMICKEY。 説明板をMICKEYが読んでいる。 |
九頭の社の由来 「清和源氏の祖源満仲公が天禄元年(970)摂津国守に任ぜられたとき、住吉大神の お告げによって矢を放ちました。 矢は、五月山の西北にある河水をたたえた湖に光を放って落ちその湖の主として住む 雄雌2頭の龍の内1頭に当たりました。1頭はこの地で死に1頭は山を突破り、湖水は 鼓を打つような音をたててたきとなって流れ出ました。湖水の水はひき多くの田畑が 出来ました。 村人等は九頭竜のお陰で田畑のひらかれたのを感謝し九頭竜明神とあがめおまつり したのがこのお社です。 御神体の御霊は、九ツの霊石をお祀りして首から上野病にきく神として信仰され、 頭痛・歯病・眼の病等の平癒にきくと伝えられ、最近は人知れずこっそりと頭のよくなる ようにと祈る若者たちのおまいりが多いようです。 九頭龍の、ありがたや願いをここに 神の霊験あらたなりけり / 読人不知 【附】 突破って逃げた1頭は小戸神社の境内に白竜社としてまつられています。 また対岸の部落は矢問といいますが満仲公が放たれた矢を問いながら訪ねてこられた ので矢問と名付けられました。 福本賀弘記 」 ------------------------------------ 「摂津名所図会」/寛政8年~10年(1796~98)に刊行された摂津国の観光案内書 にもこの社のことが載っている。 【巻之六 河辺郡(かはべのこおり)】 ●九頭神祠(くずのやしろ) 東多田村にあり。 満仲公住吉明神の霊告により、神鏑の矢止まる所を尋ね、難波の北五月山の方へ 赴きたまふに、白髪の老翁あらはれ満仲公に向かふて日く、去じの年田原藤太秀郷に 亡ぼされし近江国三上山の百足の霊魂、九頭の大蛇と成って、方墳一里の池に棲んで 村民を悩ます事限りなし。 この暁南の空より鏑矢来たって、かの九頭の大蛇に的って滅びにけりといふ。 満仲公さては住吉明神の御加護ならめと、いよいよ尊信を励び、これぞ明神の示した まへる地なりとて、すなはち居城を築き、かの九頭の前を斬って一つの叢祠を立て、 九頭明神と祀ひ、城門の守護神としたまふなり。 |
ロウバイの花が沢山咲いていて良い香りの花卉業の花畑の横を通り、多田駅の手前の |
本日のルート |
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