【北摂】城山(184m)から向山(178m)・山下城跡(獅子山ノ城跡)


【山 行 日】2021年(令和3年)1月21日(木) 
【行 き 先】川西市・城山(184m)と向山(178m)
【コ ー ス】川西市下財町・首供養地蔵-吉秀大神-愛宕神社
       -獅子山ノ城跡-△242.2m-向山・・・・平野神社
【メンバー】矢問の単独             
【天  候】晴れ
昼から時間が出来た。新型コロナ感染防止のため外出自粛で運動不足が続いている。
AmazonのPrimeVideoNetflixで映画やドラマばかり観ていて体もなまっている。

明日から3日間は雨模様。今日は天気が良い。県外の登山は控えて近場の低山へ行こう。

能勢電鉄の山下駅の北に地形図で「城山」の文字がある。ここにはかつて二山一城の
山下城(別名は獅子山城・龍尾城・一庫城・塩川城ともいうらしい)があったという。

南の標高184mの城山の主郭から南西と南の尾根に5段、7段の郭があり、東側尾根に
2重の堀切とそれに続く堅堀が見事に残っており、一方、北の標高178mの向山(地形図
には山名の記載なし)に広い郭があり、東に空堀、西に横矢のかかるクランクした空堀が
よく残っているという。今は能勢妙見山を整備している川西里山クラブが、僕が整備活動に
参加するようになる以前に整備していた山だったとも会長から聞いている。
   
   
   
13:50
クロスカブ110にも乗らず、能勢電にも乗らず国道173号線沿いに1時間弱北進。
国道が一庫ダムへの登りにさしかかるすぐ手前を川西市の郷土館方面に国道から
入ると、民家の左横に大手門跡の登り口がある。目印は「首供養地蔵」

領土争いに決着を付けるべく地黄城や田尻城などに勝手に戦いを仕掛けた塩川
国満
は、豊臣秀吉の許しが難しいと悟り、山下城を開城し切腹して果てたという。
このときの首が山下城の大手門に葬られ、山下城は廃城となり、その首を供養した
地蔵の横をその歴史を感じながら登っていく。

ここは松茸山でもあるらしい。10月1日~11月15日まで山下古城山管理委員会の
入山禁止札がぶら下がっていた。

コナラの長細いドングリが沢山落ちている。小さなスダジイのドングリも多い。
この地からやや南東にある笹部では昨年10月に何度かクマの出没目撃があった。
今日はクマよけ鈴を持って来ていない・・・。シシまたはクマ用の仕掛け檻があった。

間もなく左手に2段の平坦地がある。まだ若い桜の木が数本植えてある。
しばらく行くと左手に「吉秀大神」の社がある。中はお稲荷様のような感じだ。
この左手の尾根には西曲輪群が5段あるらしい。
   
   
13:55
右手に登り尾根先端に東曲輪群の七の段があり、愛宕神社がある。
ここからの南方面の眺めはなかなか良い。
   
   
   
五の段の上に、四の段、三の段があり、ソーラーシステムの監視カメラ兼シシよけ音が
出る三脚のような機械が複数立っていて点滅したりするので気持ち悪い。

14:00
左に登ると二の段、そして主郭がある。「獅子山ノ城跡」の石柱があり、ここにも沢山の
三脚機械があり、超音波っぽい音が耳にさわる。

地形図を見るとこの広い郭跡から尾根道が続いているかのように見えるが、北側も東側も
深い堀切があり、斜面を東側から時計回り気味に下ると尾根道に出た。
   
   
なかなか感じが良い尾根道が東へと延びている。
松茸山らしいがそれほど太くないアカマツが多い。ヒノキもそれほど太くない。
   
   
   
14:20
地形図上最高点の242.2mの三角点の地点に着いた。

残念だ・・・。ここからは北側の一庫ダムや知明湖が見えるのでは、と期待していたのだが
周囲は木に囲まれていて展望は無い。知明湖の渇水は年末の約30%よりlさらにひどくなり、
今は約21%ほどの貯水量らしい。明日から3日間の雨予報で少しはましになるだろうか・・。

持参したテルモスの温かいココアを飲んで一休み。

ここからは向山へと西北西に進む。道沿いから右手にある小高い所が向山178mだろう。
斜面を登ると少しだけ竹が生えている所があった。郭跡らしく広い平地となっている。

地形図で言うと、国道173号線の一庫ダムへ向かうトンネルの真上の178m地点である。
178mの隠れた三角点があるらしいが、枯れ葉で辺りは覆われていて見つからなかった。
尾根沿いに西へと進もうかと思いきや深い堀切。南向きに斜面を少し下ると尾根道に出た。

14:50
尾根道をどんどん西へと進んでいくと右手にバスの駐車場が見えた。竹林が出てきたかと
思うと、そのまま西へは進めそうもないので南側に竹をつかみつつジグザクに下ると、カーブ
ミラーの所にポンと出た。この尾根の最後がもう少し良ければ周遊には良いのだがなぁ・・。
   
   
   
そのまま帰宅しようかとも思ったが、地形図にある「大昌寺」というのが気になった。
寺なのに神社のマーク。

15:05
ひょっとして山下城に関係する神社があるのかも・・・と行ってみることにした。
大昌寺の西横に平野神社があった。

源満国公が平野神社を勧請し、満国公の末孫である塩川氏が、伊丹城主の荒木
村重の為に破れ神社も荒廃し、明治6年に村民により再建されたとある。
本殿に向かって左に北野天満宮、右に玉福稲荷大明神の祠がある。
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