1996年2月4日(日)の朝7時、山と渓谷社の「ハイキング12カ月関西周辺」の本を見て
「多紀アルプスへ行こう」と決定。妻、小学5年と4年の息子達そしてシェルティー(犬)の
ラッキーをデリカに乗せて8時出発。
暖かいお茶と雨具とラッキーの飲み水のみ持参。おにぎりは途中で購入予定とした。
これが失敗。今日に限って行く途中どこも開いていない。そのまま行った。
本の通りに火打岩口のバス停に車を置いた(9時30分)。20センチほどの積雪。
本の地図と案内文にある三岳登山口など無い。歩いてさらに先へ。小金口、
火打岩(バス終点)と2つのバス停を越えるまで歩き、そこから100メートルほど先に
「御嶽道」の道標がやっとあり、その左の民家の壁面に「三岳山登山口」とあった。
帰ってから同じ「山と渓谷社」の「大阪周辺の山」という本には「火打岩口」ではなく
ちゃんと「火打岩」で案内文が載ってあった。地元の人に聞けたから良かったものの
居なければ、「火打岩口」バス停のすぐ先に集会場の横から左に入る道があり間違う
可能性が大である。山と渓谷社には葉書で意見を送付しておいた。
山道にさしかかるとまさに雪道。ここまで積もっているとは思いもせずスパッツも持参せず。
雪は30センチほどの深さがあるぞ | 雪ウサギを作ったぞ |
ましてやアイゼンもない。1人の先行者の足跡だけがたより。途中で4度ほど倒れた杉や
竹で道をさえぎられて困ったが、その先行者の足跡を探して何とか迂回路を見つけられ
進むことができた。
鳥居堂跡や水場の所では積雪も40センチほどあり先行者の足跡は「カンジキ」の跡に
変わった。子供と妻は私とラッキーがラッセルしたあとを進んできた。ラッキーも大活躍。
ラッキーのつくった道を行くと楽だ | 鳥居堂あとも雪の下 |
氷ノ山の時も頑張ってくれたが今度は格別だ。岩肌も何のソノと登っていく。
キャンプと登山で鍛えているだけはある。
途中の尾根の両側が切れたガレ場の通過もすごいスリルであった。
樹氷や木々についたツララの多さにも驚いた。なにせサラサラのきれいな雪。
疲れが美しい風景で飛んでしまう。子供達も何度もそれらの美しさに歓声を上げていた。
小動物の足跡があるたびにいろいろ想像して意見を言い合ったりもした。
三岳の頂上の手前の不動明王を祭る石室の少し下まで来ると真新しい屋根付きの休息場
があった。私の持つどのガイドブックにも載っていない。そこで一服。
三岳山頂には1人の足跡のみ(12時10分)。私たちは膝まで、ラッキーは首の所まで
雪に埋もれながらも頂上だということが分かってか、ぐるぐる走り回ってうれしそう。
貸し切り状態の頂上 うれしーい | 雪遊びの2人と1匹 |
眺めは最高(^-^)。南側には深山高原、弥十郎ガ岳、西には虚空蔵山から松尾山、白髪
山、これから進む北側には小金ガ岳、八ガ尾山、雨石山、櫃ガ岳と東多紀アルプスが
一直線に見えてすばらしい。北側も多くの山が幾重にも重なり、これらすべての視界に入る
山々が雪景色ですばらしい風景であった。
昼食の持ち合わせがないので、次男が「腹へったー」といつになくうるさい。子供の靴下が
濡れていることもあり、小金ガ岳へは行かず大たわまで急な下りを滑ったり転んだり楽しみ
ながら下った。大たわにはトイレや公園風の休息広場がある。その昔は猪鹿も通らぬ寂しい
「幽霊峠」と言われたところだそうだが、きれいに整備されておりテント場に良さそう。
ラッキーのお腹まで雪 | この下りは厳しい 膝上まで雪 |
大たわから車を置いてある火打岩口まで歩いた(13時35分)。途中で地元の人に会い、
「山は雪が深かっただろう。この辺では小学3年生になるとあの山に登るのだよ」と話して
下さった。家族4人と1匹全員けがなし。\(^o^)/
こんな装備不十分な登山は初めて。いくら低山(793.4メートル)だといえ雪の季節に
大変反省している。篠山市街で皿そばとコロッケを食べて帰宅。
おおたわに着いたぞ | 無事下山、あーハラペコ |
2月10日はデイリースポーツ社・神戸新聞社主催の「京都の愛宕山15キロ」に行く予定。
雪対策の装備は万全で望みたい。毎週近場の山歩き。次回ラッキーはお留守番です。 (^^)/^^^