【京都西山】明智越えから愛宕山
【行き先】京都西山・明智越えから愛宕山 【期 日】2006年4月29日(土) 【メンバー】矢問、MICKEY 【コース】 亀岡保津・簾戸口−明智越え−尾根筋北進−明神峠−愛宕山 −愛宕神社−明神峠−愛宕谷林道−簾戸口 |
保津より嵯峨に越える峰の道を「明智越え」という。明智越えは嵯峨に達する道であると 同時に、愛宕山に参拝する聖なる道でもあり、光秀は庶民や騎馬武者がたやすく通れるよ うにと整備したとも言われている尾根ルートだ。 明智光秀が1万5000騎の軍を三段に備えて、北より明智越え、唐櫃越え、老ノ坂越え の三面より本能寺に向かったことでもよく知られている。 |
明智越えの「簾戸口」 | 簾戸口にある明智越えの絵地図 |
この時期の明智越えの尾根道は、ツツジがトンネルのように沢山咲いていて素晴らしいル ートなのだ。昨年5月は地蔵山から愛宕神社へ行ったが、今日は明智光秀も愛宕山詣に 使ったこの明智越えのルートを使って、歴史を感じながら愛宕神社へと行き、お参りしたい。 愛宕神社へよくお参りに行くMICKEYもきっと気に入るだろう。 95年や96年には息子達とも行った愛宕山。 戦国の末期、叡山の僧兵は信長に従わなかったが、これに反して愛宕山は光秀の庇護の元、 多くの寺坊は焼き討ちから免れ信長の天下統一の推進力ともなったという。 「愛宕山が焼き討ちを免れたのも火の神様として崇められている理由の1つかなぁ」 |
貴船神社と愛宕神社を祀る祠 | ツツジの花が横にも上にも多い道 |
8:20 「簾戸口(すどぐち)」から登り始めると直ぐ左に小さな祠がある。貴船神社と愛宕神社の 祠であるらしい。横には池もある。南北朝時代の「保津城跡」を右に見て左へと登る。 ツツジが沢山咲いていてツツジのトンネル。ウグイスの声も多い気持ちの良い山道だ。 ここを登り切ると山道の最高峰であり清和天皇を祀ってあるこんもりとした塚状の円丘 「峯の堂(むねのどう)」に達する。 |
ここを騎馬武者は通ったのか | 気持ちの良い尾根道 |
光秀が本能寺攻めの必勝祈願をここでしたとも言われ、一応成功したものの、山崎の合戦 で秀吉に敗れ、峯の堂の「峯」を「むね」と読ませていたことから「むねのどう」を語呂合わせ で「無念堂」といわれたところだ。 明智光秀の連歌の師匠絶巴との発句に「ときは今、天が下るを知る五月かな」は本能寺の 戦に入る7日前に明智光秀の心境を物語る歌としてあまりにも有名だが、今日ここを歩きな がら不思議にふと頭の中をよぎった。さらに歩くと「鐘撞堂跡」だがその面影は今はない。 |
ツツジの花が本当に多い | 「土用の霊泉」は涸れていた |
いかなる夏の暑い土用にもこのような高所に清水が涸れないのか誠に不思議がられた「土 用の霊泉」があるが、今日は涸れていた。光秀軍の本能寺攻めの際、この霊泉に三七草を つけて蘇らせ、それを鎧の袖の下に秘めて進んだと伝えられている。三七草は、止血に抜群 な薬草らしく、葉は虫刺されや止血に、根は吐血や強壮薬として用いられたという、キク科の 薬草だが、インターネットでは見たことはあるが現物は見たことがない。 |
左は明神峠へ、右は水尾へ | 西に牛松山が見える |
9:20 土用の霊泉を過ぎると二俣になり、右へ行くと水尾から嵯峨鳥居本へと本来の明智越え ルートと続くが、僕たちは愛宕神社へ行くために左の明神峠方面へと北進する。 右手に朽ちたトタン小屋があり左手(西)には以前登った牛松山が見える。 先に鉄塔がありそこからの展望の方が開けていて良い。 まだまだツツジのトンネルは続く。 「静かで、ツツジといいウグイスといい気持ちが良いわ〜。」とMICKEYも満足そう。 沢山のソーラーパネルを備えたNTTの中継塔を左に見ながら進むと道は下り始め、明神 峠へと続く。最後はなかなか急な下りとなり手すり状にロープが張ってあった。 |
「ウグイスが多いね」 | 明神峠・右の斜面から来た | 愛宕谷林道のゲート |
10:15 明神峠。保津からの愛宕林道は以前から車で入れない。その終点のここも鉄柵の扉に施錠 されていた。不法投棄が増え、その防止のためかもしれない。 |
明治11年の石柱が点在 | 静かな植林帯 |
目の前の尾根をヤブコギ気味で登ると石柱やテープもあり、少しで山道に出た。 峠をもう少し西へ車道をすすめば山道に乗れるようだ。帰路はこれを使おう。 ここからは杉の植林帯や自然林帯などの道。ツツジのトンネルは無くなったが、ここもウ グイスの声が多い。今日初めての「人」がいた。年配の夫婦連れとすれ違った。 |
左あたご道、右山道、の分岐 | 首無し地蔵 |
分岐になり「左あたご道・右山道」とトタンにペンキ字。しばらく休憩し地形図を見て、 左の「あたご道」を進む。これで首無し地蔵の所に出るはずだ。 11:20 首無し地蔵。「ここ、覚えてるよ」とMICKEY。昨年の地蔵山から愛宕神社へ行った際に 下山時に通ったのだ。愛宕神社への物品を運ぶこの林道は南側の展望がすごく良い。 自分たちが進んできた明智越えからの尾根道がずっと見渡せ「あんなに歩いてきたなんて スゴイよね」とMICKEY。尾根筋を見ているとホントにそう思う。 明智光秀も今日のこのルートで愛宕神社へのお参りを何度もしたというのは感慨深い。 「山頂に行こう」というと、MICKEYは今日は先に愛宕神社へ行って待ってるという。 |
愛宕山 山頂でバンダナショット | 愛宕神社への参道 |
11:45 愛宕山山頂。囲炉裏の新バンダナでバンダナショット。 (愛宕山は標高924mだが、最高点は愛宕神社の境内で、現在は一般人は入れず、 一般人はこちらの890.1mの三等三角点を愛宕山の山頂としている) 右手の白髭神社への細い登り階段からショートカットして愛宕神社へと進んだ。 12:00 愛宕神社。気温は12度。沢山の人がお参りに来ている。 MICKEYと共に、今日の目的の父の闘病生活のことや息子達の無病息災をお参りした。 MICKEYの実家に届ける樒(しきみ)を買い、MICKEYのザックにしっかりとくくりつける。 愛宕山山頂横の広場へと戻り、展望を楽しみながらタマゴ入りの具だくさんのラーメンを 作り、フライパンでウインナーや天ぷらを温めて満腹となり二人とも眠たくなった。 ご夫妻の写真撮影を手伝った。奥さんは通常ルート、ご主人は目の前の斜面を下っていく。 こんなところにもルートがあるのだろうか。MICKEYとともに初めて知った。 13:10 下山開始。首無し地蔵まで戻り、来た道をまずは明神峠まで行く。 |
首無し地蔵から明神峠への出口 | 谷山池の桜は今が満開 |
14:00 明神峠。やはり峠のやや西側に出た。すこし下ると愛宕谷林道のゲート前。 もと来た尾根道から明智越えを戻るのではなく、歴史が詰まっている愛宕谷林道を下るこ とにした。アスファルトの林道。地元の林業の人が軽トラで走った。 この林道は「歴史」を感じる立て札の整備がされているのをあまり知られていない。 山岳サイクリングの往復訓練をしている同じ人と、数度すれ違った。 「谷山池」の周囲の桜は今が満開だった。やはり気温が低い。カモのつがいがいる。 「けすみの水」は死に水に飲みたいと言われた保津三名水の1つ。 |
不動の滝の上の滝 | 不動の滝 | 対岸の岩上に不動明王 |
「夫婦岩」を過ぎ石積みのある「硅石発掘跡」、文覚上人ゆかりの地「不動明王げんこつ の木」を過ぎて「書物岩」があり、文覚上人が厳行の地と言われる「不動の滝・不動明王」 がある。丹波と嵯峨を結ぶこの道で、多くの人はこの不動明王に旅の安全を祈り、足の疲 れを癒したという。「不動堂跡(水車跡)」という所もある。 「駒谷」は明智越えの「鐘撞堂跡」へ続く谷。「一ツ橋」からは道は左岸に移る。 次の谷は「峯の堂」へ続く谷らしい。 十字に谷が寄る「愛宕谷十字峡」、「水車動力の木綿工場跡」、保津三名水の「ユキトゲの 水」、明智越えの山の神・石動さんへの「馬場の谷」、「金比羅相撲場跡」、「昭和20年の 爆弾投下跡」、平成16年に熊が目撃されてその大きな捕獲ゲージもまだ置いてある。 愛宕谷林道からの「旧金比羅参道跡(牛松山)入り口」、「金比羅神社無料参拝休憩所」、 「番所跡」、「石切場」、「こんにゃく工場跡」、「山の神・杣師聖域の地」「保津谷口古墳」、 「一ノ瀬旅籠跡」と、この愛宕谷林道には歴史を伝承する立て札が整備されている。 長い林道歩きも、歴史を感じることが出来る時間を頂いたことに感謝した。 15:15 簾戸口。7時間ほどの愛宕参り。 明智光秀の明智越え、そして下山に使った愛宕谷林道にも歴史を感じる歩行が出来た。 |
本日のルート 明智越え−愛宕山−愛宕神社−愛宕谷林道 |
この1つ前の記録は「北摂・大船山」の記録です |