【白峰】ダンノ凡太郎君を偲んで青柳山と大嵐山


【山 域】 石川県白峰:青柳山1032.9mと大嵐山1204m
【日 時】 2009年6月20日(土)
【コース】 @センターハウス21−青柳山1032.9m
      Aダンノ凡太郎君の谷
      B林道終点−大嵐山1204m
       + 太田の大トチの木
【メンバー】矢問単独
白峰の山も、もうすっかり雪も無くなっているだろう・・・。
今年2月に、まだ29歳の若きダンノ凡太郎君が不運にも滑落した谷を持つ山へご冥福を
祈りに行く。彼とはパソコン通信時代からのつきあいで、数度ともに山行したこともある。
「Niftyの山のフォーラムFYAMA時代の仲間が沢山いる囲炉裏村においでよ」と囲炉裏村
への入村の声をかけたときも来てくれた。
去年の年末の囲炉裏村の忘年会にも「僕が受付係だから心配しないで来ればいいよ」と
言うと、「来ましたよ」とあの笑顔で参加してくれた・・・。

23時過ぎに家を出て、北陸道の北鯖江PAで2時間のみ仮眠し白峰の集落へと向かう。

@「青柳山1032.9mへ登る」
ダンノ凡太郎君のお母様に教えていただいた谷に入るにはまだ時間が早い。気温は15度。
「きっと凡太郎君はこの山にも登ったに違いない」と思い、白峰温泉スキー場を西斜面に
持つ青柳山に登ることにした。一番麓に近いインフォメーションセンターにあるキャニオ
ンリフトの乗り口に行くも、リフトの横はこの時期もう草がぼうぼうで登れそうもない。
「どこから登ろうか・・・」地形図を見ると山頂のテレビ中継アンテナの点検道のような
ものがある。「これを利用しよう」
センターハウス21横から登る 無雪期の砂利道の点検道
5:50
白峰集落から少し南に戻り県道33号線から左の林道に入り、「センターハウス21」の
リフト乗り場に行った。この建物の右横から点検道があった。入り口には車両が進入でき
ないようにロープが張られていたが、歩くには全く支障がない。
地形図にある点線はすべて草がぼうぼうで全くどこにあるかもわからないので、草の生え
方が少ないこの砂利道の点検道を進む。
この時期、スキー場のゲレンデには黄色や紫や白い花が咲き乱れている。
草の量が増えてきた 三角点はあの木の所 青柳山1032.9m
第3レストハウス前を過ぎると、点検道もタイヤの轍もやや残る程度に草の量が増えてきた。
しかし、膝高程度で歩くには支障はない。

6:25
山頂直下に着いた。ジャイアントリフトの最上部でもある。白峰の集落が小さく見える。
北部から西部、そして南部に至る山々の展望が素晴らしい。
大日山方面 手取湖方面
「凡太郎君もこの山頂からこの景色を見たのだろうか」と思いつつ、天に向かって手を
合わせた。「白山が見えないな・・・」
残念なことに、ここからは彼と「今年一緒に登ろうな」と忘年会で言っていた白山が見え
なかった。無線機もつけてみたが、9エリアはいつも静かだ。

「白山を望むにはここから続く稜線を進んで南東部にある砂御前山まで行けば見えるのだ
ろうか。」と思い、草と木をかき分けて稜線を進む事にした。しばらく進むも「無雪期の
この藪では山頂まで行き着けそうもないか・・・」と思っていると、うっすらと踏み跡が
現れ、時々赤ペンキも付いている木が点在した。境界杭もある。「おっ、行けるかもしれ
ない」と思い、枝をかき分け進むもにっちもさっちもいかないくらいに藪が濃くなった。
砂御前山へと登るのは大嵐山の西にある林道の分岐を右にとった林道終点から尾根筋を利
用して登る記録を見たことがある。やはり無雪期にこの青柳山の稜線からは無理なのかも
しれない。あきらめてピストンし下山することにした。

A「ダンノ凡太郎君の谷へ」
お母様に教えていただいた地形図を見て、その谷を探す。丸太橋をわたり、数段の木の階
段を登って右手に小さな砂防堰堤がある。さらに先まで進んだが谷らしい所もない。

8:25
地形図を見ると「さっきの谷かな」と目星をつけたものの、「滝」という言葉が頭に残っ
ており、どうも自信がもてない。その一帯は地形図で見るよりもなかなか斜度がキツイう
えに、胸高の草がぼうぼうで入るのを拒む。植林の手入れをする仕事道も谷の左右を探し
たが草の高さが高くて見あたらない。その堰堤の左側の草の中に何かがある。草をかき分
けて見ると「花束」の枯れたものであった。「あっ、この谷に違いない!」

再度堰堤の左右を見た。左手(右岸)の斜面の土がやや落ちた所から何とか木をつかんで
登れそうだ。木をつかみつつ登ると、2つ目の堰堤。そしてさらに登ると3つ目の堰堤が
あった。「滝がないなぁ・・・堰堤の間違いだったのかな・・・」3つ目の堰堤を越えて
沢中に下りて上を見上げるとガレ場のような谷だが、水がちょろちょろと流れている。
第3堰堤を越えて谷筋へ 水量は少ないが滝が出た! 滝の中段右岸に帽子が・・
沢靴を履いていないので滑るため慎重に進む。そして上を見上げると「あっ、滝だ!」
お母様の地形図に示された「滝」の地点と合致している。段々になった滝で水量は少ない。
沢靴ならどんどん登れるが、2段ほど登ったところであとは沢靴がないと危険と判断した。

8:40
「あれ?」沢から2mほど上の右岸斜面に紺色の物が枯れ葉の間に見えた。
よく見ると帽子だ。「凡太郎君の物だろうか。いつも彼が山に行くときにかぶっている形
の帽子ではないなぁ・・。仕事の帽子だろうか・・。名前が記されていないしなぁ」
帽子のワッペンを見た。登山者のよくつけているワッペンではない。どうも彼の仕事に関
係する絵柄や文字に見えて仕方がない。「こんな谷は登山や沢登りの対象にもならないし、
彼の帽子かを是非ご両親に確認していただこう」と、持ち帰ることにした。
名も無き「滝」を見つめて、ここでも手を合わせた。
 (彼の職業を英語で言う、もしくは別呼称をワッペンに書いてあった英単語だと知って
 いたら迷わずそこで僕も「凡太郎君の物に違いない」と確証を持てたのに、無知だった)


再度、右岸の樹林帯に戻りさらに上へと登ったが、どんどん傾斜がきつくなり、下りる際
にロープが必要となる斜度になり滝の落ち口に行くのはあきらめた。

B「白山の見える大嵐山1204mへ」
白山を展望して凡太郎君を偲びたいと思い、白峰トンネルを抜けてすぐ右に折れ、林道を
登る。林道途中で分岐があり、右は「砂御前・じぶね・鳴谷山」左は「大嵐山・水芭蕉」
への登山口へと続く。
湧き水の水飲み場 気持ちの良いブナ林
9:40
左へ進み、広い林道終点には車が2台停まっていた。この山は「ブナ林」と「水芭蕉」で
知られている。登山口の右手には山からの湧き水の水飲み場がある。
最初は階段状の登山道で膝に優しくないがそれはすぐに終わり、ブナの木々の木陰の登山
道となり暑がりにはうれしい。小鳥の声がとても多く鳥の種類も多い。

9:50
峠に着いた。案内板のある4つの分岐。そのまま500mほど進めば水芭蕉の湿地がある。
右手の大嵐山の山頂へのルートをとった。ツツジが沢山咲いている。
途中、展望の開けるところがあった。白山が見えた。山頂ならもっとよく見えるだろう。
大嵐山1204m 「凡太郎君、白山が見えるよ」
10:20
山頂に近づくと声が聞こえた。男女お二人が食事中であった。山頂は木々に囲まれていて
展望が良いとは言えないが、白山方面だけが展望できる斜面があった。
「おお、凡太郎君、白山が見えたよ。君もここから白山を見たのかなぁ。今年一緒に白山
に登りたかったよなぁ・・・」と独り言を言いつつ食事にした。

山頂横の木の生えるこぶに登ると山ランの人の山頂札がぶら下がっていた。
コールサインを見ると、金剛山系から僕とも交信しているJH3JFFさんの山頂札であった。
「JFFさんは、ここにも無線機を担いで登ったのだなぁ」と感心した。
この山頂でも無線機を出してみたが、先ほどの青柳山と同じく静かなものだった。

来た道を戻って下山。峠を過ぎたところで軽装の4名とすれ違う。
「水芭蕉の湿地は遠いですか」と男性に聞かれ、案内した。

11:15
下山完了。帰路にまたその谷の横を通る。
対岸から「凡太郎君、また来るからね」と告げた。

谷峠のトンネル手前にある「日本一のトチの木」という「太田のトチの木」を見に行った。
国道157号線沿いの堂の森神社の東側の集落から3.4kmほど林道を上っていく。
「太田の日本一の大トチ」 裏側

11:55
林道終点の案内板のすぐ横にそれはあった。「で、でかいなぁ!!」
この大トチは、直径4m、周囲13m、高さ25m、樹齢1300年。
今までもトチの巨木・巨樹を見たが、これほどまで大きなトチの木は初めてだ。
「凡太郎君の勤務場所からも近いし、きっと彼もこれは見たんだろうな・・・」

根を守るために周囲に木道が作られており、裏側も見ると大きな穴が空いていた。
大きな木を見ると心が落ち着くのはなぜだろう・・・といつも思う。
「小トチの木」もあると案内板にあるので探したが見あたらなかった。

「凡太郎君、またね」と白峰をあとに北陸道と名神を走る。米原を過ぎたあたりで小雨が
降り出した。凡太郎君の事を思い出していると眠たくもならず、16時半には自宅着。
すぐに凡太郎君のお母様に、谷へ行ってきた報告と帽子の写真を添付メールで送信した。
「息子の帽子に間違いないです」とのお返事が直ぐに来た。「ああ、良かった!」
明日の朝、ご両親の元へ持参させていただくことにした。

C「凡太郎君の実家へ」
翌朝21日(日)の朝8時に、車で1時間ほどの凡太郎君のご実家へと向かう。
お父様が玄関前で待っていて下さった。「あっ!」全く同じ帽子が部屋にあり驚いた。
「谷で帽子が発見されず、新品を職場の方が下さった」とのこと。
ご両親に昨日発見した「帽子」を洗わずそのままの状態でお渡しした。

ご両親は「新品を戴いていたのでメールの写真と比べることが出来て確信した」とのこと。
お父様から、今までの経緯や当日の凡太郎君の雪上の足跡からの登山ルートの足取りを
地形図上で詳しく説明を伺えた。ワカンのあった谷の位置の説明も伺えた。
凡太郎君との思い出のお話しもいろいろ出来た。やはりまだ僕には信じられない・・・。

彼のカメラ内からは、事故当日は晴天で青柳山の山頂にも登って写真を撮っていたとのこと。
「やはり彼は青柳山の山頂にも登っていましたか・・・」と僕。
その後の下山時に事故が起こったようだ。滝の上の堰堤から彼が写した写真も見せていた
だけた。あれだけ慎重な彼がどうして雪深いときに上部から危険な谷部に下って滝の所に
行ったのか疑問だったが、彼の勤めていた職場からこの滝が見えるので写真を撮りに行っ
たのだろうとのことであった。「そうだったのか・・・」

昨日の滝の写真や帽子のあった周囲の写真、枯れた花束の写真、3つの堰堤の写真などと
ともに、昨日僕が凡太郎君を偲んで歩行した軌跡の地形図をお渡した。

彼の写真や彼の大好きなルル(彼の愛犬)の写真のあるお仏壇をお参りさせていただいた。
「どうか安らかに眠ってください。凡太郎君のこと、僕たち夫婦は忘れないからね」

お母様の手で帽子を洗って下さり「洗うとすっかりきれいになりました」とメールを下さった。
ご両親思いで、毎週のように週末には遠い白峰から実家へ帰宅していたという凡太郎君も
きっと帽子の汚れをお母様に洗ってもらって喜んでいることだろう。

           ダンノ凡太郎君のご冥福を心から祈る。 合掌。

★ダンノ凡太郎君との登山記録の一部★
2004年 2月21日 【北摂】高岳 南尾根から北尾根県境縦走バリハイ
2003年 2月23日 【北摂】天狗岩・三蔵山ヤブオフ
2002年12月23日  七種山から七種槍
2001年12月16日 【北摂】寺山から広照寺山

1つ前の記録は「沢【若狭】耳川−能登又谷水系・ハゲノ谷から大御影山」です。