【後立山連峰】こはるさんを偲んで鹿島槍ヶ岳
【行き先】 後立山連峰・鹿島槍ヶ岳 2889.1m 【期 日】 2011年9月24日(土)〜25日(日) 前日発 【メンバー】 矢問単独 【コース】 24日:大谷原−西俣出合−高千穂平2049m−赤岩尾根 −冷乗越−冷池山荘−テント場(Ca2470m) 25日:テント場−布引山2683m−鹿島槍ヶ岳2889.1m −テント場−冷乗越−赤岩尾根−大谷原 |
今年4月末からのGWにこはるさんは鹿島槍に行った。こはるさんとは視覚障害者の登山 サークル「山ネット」で視覚障害者をサポートする側で10年ほど前に何度かサポートを ご一緒したことがある。六甲縦走もしたいとのことで「囲炉裏」に入村し、2001年には 囲炉裏のみんなと六甲縦走にチャレンジしたが直前の個人練習のしすぎで、11月11日 の本番で足に不調を来たしてしまい、てるさんとともに残念ながら途中敗退・・・。 足が痛いのに、宝塚のゴール地点にいるサボ−ト隊の僕たちにわざわざお礼の挨拶に来て くれたのを今でもしっかり覚えている。それが面と向かって会った最後だな・・・。 (2001年の囲炉裏の六甲全縦の集合写真で、最前列左がBAKUさん、その後ろ前から 二列目の左端の黄色いウエアーがこはるさん、こはるさんの右後ろが僕) それ以後、山ネットでも囲炉裏でもここ10年ほど会う機会が無かった。 それが去年アマチュア無線のつながりで登山もやってるJO3QWCさんと知り合いになり こはるさんは元気にJO3QWCさん達と雪山や沢登りも頑張ってると聞いて嬉しかった。 そしてJO3QWCさん達の登山記録が載っている「てでぃ」さんのホームページの「山歩き 備忘録」の中に、元気に登山をするこはるさんを発見し、こはるさんともmixiで再会できた。 こはるさんが、リーダーと鹿島槍ヶ岳へ行く前日にも「矢問さん、行ってきま〜す。帰って きたらランチをごちそうして下さいね〜。久々に会いましょう」とメールをくれていた。 「了解!無理せず気をつけて!」そして・・・・「こはるさんが鹿島槍の山頂で落雷に 直撃され他界・・・」と、信じられない訃報が飛び込んだ。「間違いであってほしい!」 「天候が荒れており、ヘリが鹿島槍へ飛べない。」というニュースが流れた。 「こはるさんはまだ山頂にいるのか・・。まだ45歳だというのに・・・なぜ・・・」 同行リーダーの手記を読んだ。落雷直撃は4月30日の15時15分の事らしい。 同日に登っていた他パーティーの記録もネットであったので読んだ。 他のパーティーは厳しい天候で途中で撤退したようだ・・・。 今年のお盆にもこはるさんのことが気になっていた。そしてもうお彼岸だ・・・。 22日夜に出発して23日に個人的に追悼登山をする予定にしていたが23日の長野県は 天気があまり良くない様子。1日ずらすことにした。 「こはるさんの冥福を祈ってくる」と言うと、相棒は「はい」とお線香と数珠を用意してくれた。 母も「お彼岸に実家に帰ってこなくて良いから、お線香を供えてきてあげなさい」と言う。 23日の午前10時家を出発。コンテストで六甲山からCQを出されていたJJ4MEAさん に久々に応答。遠路、広島県から来たらしい。 豊中ICから7時間で登山口に着く予定が、大津で事故渋滞・・・。 比良の蛇谷ヶ峰に登っている丹波のたぬきさんご夫妻(JN3DQKさんとJN3IRCさん)に 草津辺りで交信できた。そして竜王と一宮でも渋滞。 中央道に入って多治見市の塩見の森からCQを出されていたJO2OKPさんとQSO。 大谷原の登山口まで440kmに9時間かかり19時に到着。車が10台ほど停まっていた。 満天の星空だ。「こはるさんも4月29日にここに来たのだな。明日は晴れるな。」 愛車X−トレイルのすべての窓に銀マットをはめ込んで冷気を断熱し、シュラフにくるまった。 |
5時は、まだまっ暗だ | 5時半を過ぎると明るくなってきた |
5:00 まだ暗いが15分ほど前に1人が出発した。僕も準備してきた登山届けをボックスに投函 し出発。ヘッドランプと月明かりで林道を1時間ほど歩く。 こはるさん達は7時に出発して、残雪期ルートの東尾根に取りついて二の沢の頭でテント を張ったらしいが、今は無雪期、僕は西俣出合へと向かい夏道ルートをとる。 テント泊の荷物はずっしりと重い。今日は単独なので1人用のテントと冬用シュラフなど。 水はとりあえず3.5Lにした。5時半になるとヘッドランプはもう要らない。 先行の男性を途中で抜いた。「おはようございます」小屋泊まりなのか荷物は小さい。 ゆるい登りが続く林道。沢からの風が冷たくて手袋が欲しいくらいだが僕にはありがたい。 |
山肌に朝日が当たり始めた | 堰堤のトンネルを抜ける |
6:00 西俣出合。堰堤下のトンネルを抜けてやっと登山口。西沢左岸を細い登山道が続く。 暑くなって上着を脱いでいると、先ほどの男性が抜いていった。木の丸太はしごや金属は しごが何カ所か続く。岩場にはクサリもある。歩幅が狂う岩場でどうも呼吸が乱れてきた。 |
林道が終わりいよいよ登り開始 | 最初の鎖場 |
それどころか困ったことに、ここ1ヶ月ほど高い山にろくに登っていなかったのでザック の重みがなかなかの急登が足にこたえだした。「ううっ!イテテ」左太ももが攣った。 「ありゃりゃ・・・とうとう来たか」ここからは足をだましだまし登るしかない。 「ううっ!」左足をかばっていたら今度は右のふくらはぎが攣った。「なんてこった!」 「今日はテント場に着きさえすればいいのだから、あくせくせずのんびり登ればいい」と いい聞かせつつもペースがどうも狂う。右も左もまた攣った。そしてまた攣った。 なぜか、こはるさんに「矢問さん、今日はめずらしく不調だね〜」と笑われてる気がした。 芍薬甘草湯を飲んでも、このザックの重みと急登の負荷が続く限りマシにはならない。 |
高千穂平2049mに着いた | 登山道にはリンドウが多い |
8:35 高千穂平2049m。北側に見えるこはるさんが登攀したという東尾根をしばらくながめてた。 いよいよ赤岩尾根。傾斜はマシになったがまた足が攣った。攣る度に10分ほど休憩。 |
ナナカマドと鹿島槍 | 鹿島槍/南峰と北峰 |
ガスが登り始めた。少し広いところで休憩していると小学4年生の男の子を連れた男性が 登ってきた。写真を撮ってあげた。僕も息子達とアルプスを登っていた頃を思い出した。 |
鎖場 | やせ尾根 | 最後の鎖場 |
やせ尾根と鎖場。「こんなところで足が攣ったらたまらないなぁ」と思ったらまた攣った。 危ない危ない。2度も3度も攣るなんて初めての経験だ。慎重に一歩一歩、ふくらはぎの 痛みに耐えながら登る。実に痛い。たった一泊といえど、テント泊をするための体調管理 の準備不足のなにものでもない。自業自得だ。 これで天候が悪ければどうしようもないが、天候は味方をしてくれているようだ。 |
「今日の登りはあそこまででだ」 | 冷乗越/立山連峰が素晴らしい |
上から2人連れが3組ほど下りてきた。みんなナップザックのような軽い装備。 小屋泊まりの人達だろう。足取りも軽やかに見える。「まっ、ゆっくり行こう」 |
「冷池山荘が近い!」 | 素晴らしい展望だ |
11:35 冷乗越。やっと稜線に出た。「うわ〜!!」西側に立山連峰がバーンとパノラマで見える。 素晴らしい展望だ。「まだ紅葉には早いな」ここからは足がロボットのようになった。 冷池山荘が見える。一旦下ってまた登る。登るとき痛んだ足が実にきつかった。 |
冷池山荘 | テント場からの展望 |
11:50 冷池山荘。テント場の手続きをする。500円。「昨日はテントが60張りほどで、張る ところが無いほど混雑したので、できるだけ詰めて張って下さいね」という。 「えっ、僕は今日何番目ですか。張るところあるの?」「まだ6番目なのでご安心を」と。 ここからテント場までまた8分ほど登る。「今日の足にはこのたった8分がきついなぁ。」 |
今夜の我が家 | ブロッケン現象 |
テント場に着いて、登山道から西側に少し下ったハイマツのそばにテントを張った。 足の調子が良ければ、充分今日のウチに鹿島槍に行って帰ってこられるが、無理をせず 今は足のメンテをして明朝に鹿島槍へ行くことにした。テント場に着いたことを無線機 VX-8Dでメッセージ付きAPRSを発信した。これで家にいる相棒にもテント場着が伝わ ったはずだ。(やまあそさん(JL3IXW)から「テント場APRSを確認した」との携帯メール着信) |
まだ昼間はテントもまばら | 爺ヶ岳方面 |
テント場からは布引山や鹿島槍ヶ岳が見える。D-STARで上田430MHzに届くか試したが 届かない。南東方向が上田市で遮るものも無いのに・・・残念。「ID-92は単に荷物か」。 八方方面の山から2m(144MHz)のCQが出ていた。 コーヒーを湧かして軽くランチをとりながら、テントの横に座って立山や剱岳をながめる。 「あ〜、良い景色だ」気持ちの良い時間だ。「確か複数の山仲間が立山に入山していたな」 テントの内外で足のストレッチを念入りにした。痛くてテント内で少し昼寝をした。 どんどんとテント場に人が到着しだした。冷池山荘に水を2L買いに行った。150円/L。 山荘手前の稜線の東側にはガスがたまり、ブロッケン現象が出ていた。まだ足は痛い。 |
テントが増えだした/鹿島槍方面 | 立山に夕日が沈む |
午後3時半になると寒くなり出し、上着の上に薄いダウンジャケットを着た。 テント場では早くも夕食準備タイム。僕もタイ風カレーを作って立山を眺めながら食べた。 携帯は時々圏外からアンテナが立った。相棒に明朝早くに鹿島槍に登ることをメールした。 明朝は水と食料と無線機と雨具やレスキューシートなどの必要物のみで山頂に向かう。 その他の荷物はテント内にデポしておくことにした。 立山連峰に夕日が沈んだ。空は満天の星。天の川も見えて、流れ星がいくつも飛んだ。 爺ヶ岳の西にある種池山荘も明かりがついている。 テント場は遅くまで賑やかだったが、うつらうつらと数時間は寝られた。風もないが寒さは 雪が降ってもおかしくないほどで、冬用シュラフにダウンジャケットを着て手袋をして寝た。 9月25日(日) 午前3時半に起きると周囲も数人起きていた。パンと水で軽く食事をとった。 痛み止めを飲んでおいた。まっ暗の中、数パーティーが出発していった。 4:30 ヘッドランプをつけて出発。まっ暗だが、登山道はなんとか見える。相当先の登り斜面に 3パーティーほど光るヘッドランプが見える。登りにさしかかると暑くなってきたので ダウンジャケットは脱いだ。まだ気温が低いので暑さに弱い僕も体調は良い。 足の痛みも何とか持ちそうだ。ドンドン明るくなってきた。東側はすごい雲海だ。 土からは5cmほどの霜柱が沢山出ている。やはり夜間の気温が低かっただけある。 |
日の出前の雲海 | 布引山 2683m |
5:15 布引山2683m。もう少しで雲海から太陽が出そうだが、暑くなる前に前進あるのみ。 |
鹿島槍・南峰まであと少し | 雲海から ご来光! |
後ろを振り返ると、ヘルメットをかぶった年配の男女5人位が来ている。キレットに向かう のだろう。鹿島槍へ向かう稜線でご来光!雲海から太陽が顔を出す素晴らしい瞬間だ。 ご来光に向かって、手を合わせてこはるさんのご冥福を祈った。 |
テント場方面を振り返る | 鹿島槍ヶ岳 2889m |
6:00 鹿島槍ヶ岳2889m。山頂には先行されていた4人ほどがいた。まず目に入ったのはやはり こはるさんが登っていた北峰手前までの東尾根。「残雪期にあの尾根を一歩一歩リーダー とこはるさんは登ったのだなぁ。天候が悪かったからこんな景色は見えなかっただろうが、 寝不足のまま良く登ったものだなぁ。途中で幕営したのはあのあたりだろうか。鍋をつつ いて楽しいひとときだったろうな。翌朝は北峰をトラバース気味にこの南峰の山頂まで頑 張ってここで登頂記念の写真を撮ったのだろうか・・・」と三角点の横の山頂柱を触ったり すぐ西側の道標を触ったり・・。寒いのでダウンジャケットを着た。 こはるさんの落雷事故の翌日5月1日に、同行者の通報で冷池山荘の方が確認に来る 直前にこの山頂に登頂した別パーティーの記録ではこはるさんを見て「ザックを背負った まま黒部側を向いて倒れていた」とある。そのパーティの別の人はザックしかみていない 人もいる。 「うつ伏せ状態だったのか?同行者の記録では人工呼吸や心肺蘇生をしたとあったが・・ 仰向けじゃなくて、うつ伏せ状態?何が真実なのか・・・。」 |
五竜方面 | 北峰を望み、お線香と数珠 |
三角点のすぐ北側斜面に座り、北峰と東尾根がしっかり見えるところでじっとそのルート を眺めながら準備したお線香に火をつけて拝んだ。順次北峰へ向かって下って行く人達の 「あれっ?お線香の香りがするね。」と声が聞こえる。そんな声にもかまわずこはるさんが 頑張って登ったルートを、相棒が用意してくれた数珠を握ってじっと見つめていた。 |
五竜方面/鹿島槍北峰 | 北峰と東尾根 |
唐松岳・五竜岳方面 | 北峰山頂に人が3人いる |
時計を見ると山頂に来てもうすぐ30分になる。山頂に無事到着し、こはるさんのご冥福を 祈ったことを相棒に伝えるべく、VX-8でAPRSを発信した。 (石川県かほく市のJR9UKF局のI-GATEがキャッチして下さったようだ) |
VX-8でAPRSを発信/Google Maps APRS |
6:40 槍ヶ岳を見つつ下山開始。「こはるさん、またいつか来るからね。安らかに眠って下さい」 足の調子はそれほど悪くない。テント場へと向かう。立山連峰の景色は今日も素晴らしい。 まだ土からの霜柱は沢山出ている。細いガラスのような霜柱を踏むとガシッガシッと音がする。 7:10 布引山。小屋から来たような空身の人たちが大勢いた。太陽がまぶしい。 テント場との間に来るときは気がつかなかったが、平成7年の吹雪く元旦の遭難碑があった。 |
だいぶテントが減っていた | 「さて撤収しよう」 |
7:40 テント場。テントはもう10張りくらいしか残っていなかった。ゆっくり片付ける。 晴れているのでテントを裏返して乾燥もできた。天気の良い日は荷造りも助かる。 9:00 冷池山荘で記念に鹿島槍のTシャツとスタッフ袋を買う。「お世話になりました」 水は2L残っているので買わずに出発。小屋からの登りはやはり痛む足にはキツイが、 この登りさえ頑張ればあとは下るのみだ。 |
冷乗越 あとは下るだけ | 「こはるさん、またね」 |
9:15 冷乗越。「あ〜、やっと登りは終えた。今度は太陽の暑さとの戦いか・・・」 風は冷たいのでそれほど汗はまだ出ない。鎖場を慎重に下る。足は大丈夫だ。 下から登ってる男性2人と、また別の1人とすれ違った。 どんどん下る。りんどうの花が多い。もう一度鹿島槍を振り返って仰ぎ見た。 大滝もよく見える。 |
大滝 | 高千穂平 |
10:15 高千穂平。ここまで1時間で下れた。大滝を眺めながらパンを食べつつ休憩。 段々と暑くなってきた。「頑張って下って堰堤の広場で休憩しよう」と下る。 木のはしごや金属の階段を慎重に下る。段々とガスが上がり始めた。 暑がりには陽が強くなくて丁度良い。鎖場が出た。「あと少しで堰堤のところだ」 |
西俣出合 |
11:55 西俣出合・赤岩尾根登山口に着いた。「うわっ、休憩しようと思っていたのに・・・」 小猿を背中に乗せた猿の軍団がいる。大きなオスザルがこっちを見ている。 「こりゃ休憩どころじゃないなぁ・・・。目を合わさないようにゆっくり通過しよう・・・」 うまく通過できて冷たい沢風が吹くところで休憩した。靴の中で汗をかきすぎて両足の 親指付け根横の皮がふやけてめくれた。ここからの林道歩きはこれが痛かった。 「大きなブナも沢山ある林道だったのだな」昨日は暗い中歩いたので気がつかなかった。 「携帯ポイント」という立て札が2箇所ほどある。ドコモのFOMAのみが通じる地点らしい。 |
大谷原/車はすごく減っていた |
12:55 大谷原。「もう少し早く着くかと思ったけど1時間かかってしまったな」 小屋泊まりの男性数名も同時に下山出発したが、下山途中では1度も会わなかった。 橋のところに男性が1人いたので会釈した。もう一度、山の方に向かって手を合わせた。 あれだけ晴れていたのに、曇り始めた。安曇野市に入るとお腹が空いた。 「安曇野はわさびで有名。わさびのきいたそばを食べよう。」と安曇野スイス村にある こばやし安曇野庵へ。わさび菜と辛み大根がきいているそばを食べた。辛くて涙が出た。 店内には山の写真が多い。ご主人が若かりし頃に撮った写真らしい。 ドラッグストアに立ち寄ってドリンク剤を飲み、バンテリンを買い足に擦り込んだ。 長野道に乗る頃から小雨が降り出した。なんかこはるさんの涙のように感じた・・・。 駒ヶ根SAで相棒から頼まれた「明治亭」のソースカツ丼用のソースを2本購入。 連休最後の日で渋滞覚悟。多賀SAの王将で夕食をとり、大津の大渋滞が解消されるまで 黒丸PAで、中国道の豊中ICを割引料金の22時過ぎに出られるように仮眠した。 名神高速の茨木あたりでJO3HYMさんとD-STAR(生駒山かけ)で交信。 豊中ICを22時5分に出た。バッチリ割り引きタイム。 22:40 自宅到着。相棒がAPRSで車の走行位置を確認しつつお風呂を沸かしてくれていた。 片道走行440km。10年ぶりに下界でこはるさんと再会して残雪の鹿島槍登攀のお話し を聞くことは叶わなかったが、個人的ではあるもののこはるさんのご冥福を祈れた山行 が天候に恵まれたお彼岸にできたのは良かった。 |
今回のルート |
この1つ前は「【兵庫】OAPさんの「氷ノ山・世界一ビールオフ」の記録です |