【兵庫】氷ノ山・紛失カメラ探しと「とうろう岩」の石仏


【山 域】 兵庫県:氷ノ山 とうろう岩近辺
【日 時】 2009年9月9日(水)
【コース】 親水公園−木地屋跡−とうろう岩のある尾根の東隣尾根
      −Ca1350m−とうろう岩−不動谷左俣右岸尾根
      −木地屋跡−親水公園
【メンバー】矢問単独
9月5日(土)に不動谷左俣から氷ノ山の山頂へ佐野さんやいるかさんと沢登り
その下山時のゲキヤブの尾根で、愛用のデジカメ(オリンパスμ800)を紛失。
日暮れとの戦いの時間+ゲキヤブとの格闘でヘロヘロで探せず。佐野さんやいるかさんと
の溯行記録画像が100枚以上・・・。落ち葉が積もると、もうわからないだろう・・・。
9日は晴天予報。カメラを無くしたのではないのなら二度と通りたくない笹藪地獄の尾根。
しかし・・・画像は惜しい・・・残った夏休みを利用して単独で探しに行くことにした。

・無くしたのは標高1250mの展望岩から1100mあたりの間。絞り込める。
・ゲキヤブなのでGPSの軌跡をもとに登っても、幅5mの誤差があるので左右10mの
 範囲を面のようにして探す必要があるが、ゲキヤブで左右2m位しか注視は無理。
・ダメもとで行く。熊に注意!

8日19時半に家を出る。春日ICまで地道で行き北近畿豊岡道を利用。300円。
途中で丹波のたぬきさんと無線でつながった。「平日なので熊に気をつけてくださいよ。
MICKEYさんが一緒だったらもっと確率は上がるのにね」と言われた。その通りだ。
5日の下山時も、熊の気配や新しい熊の爪痕もあった・・。
MICKEYが同行してくれれば、父の形見の時計の捜索の時のようなこともあるのだが・・。


今夜は曇りのはずが、家を出て丹波市を通過中に雨が降り出す。和田山でも降っている。
「なんで雨???明日のゲキヤブは笹が雨露でびっしょりかも・・・」ゆっくり車中泊しよう。
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@カメラ捜索と「とうろう岩」への尾根取り付き点の確認
朝6時に親水公園で登山届けを出し、出発。曇っている。予報の青空なんてかけらもない。

6:40
木地屋跡。ここから5日の逆に登っていく。1000m地点位までは探す必要が無いので
P961mを避けて、5日の溯行時に見つけた赤いペイントの木のある950m地点を通過
して東に進んで5日の下山ルートに入ることにした。ヘルメットをかぶる。
この面に向かい左へ 炭焼き窯跡 説明板はバラバラ
木地屋跡には古代須賀ノ山ルーツを探る会(須賀ノ山=鳥取県側からの現在の氷ノ山の山名)が
平成6年(1994)に建立した石柱がある。
石柱の裏に「左に行けば灯籠岩を経て氷ノ山頂上」と書いてある面に向かって立ち、素直に
その向きのまま左手に進んでいく
と小さめの「炭焼き窯跡」があり、すぐその先は2m位の段差
になっており行き止まりだが、よく見ると鎖がぶら下がっているので、そこを下りる。
 (クサリの手前にバラバラになった「とうろう岩の説明板」を見つけた)

注意:石柱のところから登山道の進行方向から見たら90度左に踏み跡らしきものがありますが
    それを進むと鎖場には出ずに沢の下流に出てしまいます。あくまでも石柱の文に向かって
    立ち、その位置から左と理解しないととろうろ岩への尾根の取り付き点に行きません。


炭焼き窯跡と鎖場の間に粉々に落ちていた壊れた案内板は、かつては木地屋敷跡の石柱
の所にあったもの。集めて並べたが、足らない。全体は次のように記されていたらしい。
<トウロウ岩への案内>
軽装健脚の方で岩まで1時間岩より氷ノ山頂上まで1時間で登れます。降りは頂上より
岩まで三十分地蔵堂まで三十分位で下りれます。此のコースは昔山岳宗教盛んなりし頃
山伏達が下駄を「ハイテ」登り降りしたと云う修験者修業の道場である其の証拠には岩
に安置されている石仏には下駄を「ハキ」錫杖を持ち「ニンジュツ」の姿をした石仏が
二体安置されています。春米の長老の言によればコシキ岩には昔クサリを利用して登り
降りしたと云うコシキ岩にも石仏が安置されていると思われるが今だ発見されていない。
岩棚には危険に付登らないで下さい。              氷ノ山ルーツを探る会

しかし、「とうろう岩」のことより、先にカメラの捜索だ。
クサリがある 一升瓶とナベ
鎖場を下りると、それが不動谷右俣の沢で、簡単に渡れる。そのまま台地へと登ると、ナベや
一升瓶が数本あり(5日もここを通った))植林帯をやや右斜めに進むと、次の沢(不動谷左俣)
に出る。小さな釜(水のたまり)を持つ「くの字の5mの滝」が見えたら正解。
滝の左手が、尾根への取り付き点で、この滝は5日に僕が先頭で登った小滝で記憶している
この滝の左手が取り付き 沢の左岸の木 右岸の赤ペンキの木
地形図で標高950mの等高線地点である。その釜の手前を渡り対岸上の太い木に赤ペン
キで四角く広くマーキングされている。この木が「とうろう岩」への尾根の取り付き点だ
要するに不動谷左俣の右岸尾根を登っていくと「とうろう岩」があるのだ。

950m地点から東進しだした瞬間に昨夜の雨に打たれた笹の雨露で服もズボンもびしょ
びしょに濡れた。「晴れれば直ぐに乾くさ」と思いつつ、熊よけ鈴をぶら下げラジオをつけた。
ラジオは良く入らず雑音だらけ。雑音でも音が出れば熊よけにはなんでも良い。

登りは地面が見えやすいと思いきや、やはり笹藪地獄。寝てる笹でなかなか見えない。
1050mあたりから左右を注視しつつ笹藪を持ち上げては声を出し祈りながら登る。
熊の気配がする。鈴をうるさいくらいに振り鳴らし耳をすませる。「こわ〜・・・」

特に1100m〜1150mは、長袖上着の袖と革手袋の隙間を笹藪で傷だらけにしなが
ら入念に探したが無い。そこから1200mまでは痩せ尾根で藪がないがカメラもない。

8:35
1200m地点。1250m地点の展望岩まで少ししかない・・・。カメラはない・・。
もうポケットに入れては見ている地形図もびしょびしょ。
いつもは予備に1枚だけ別に持っているが、今日は4枚持っているので安心。

8:50
1250m地点。西側がすっぱり切れ落ちた平たい岩棚があった。
そこに乗ると、西側の隣の尾根に「とうろう岩」の二つの岩頭が見える。
「きっとやまあそさんはこの岩棚を展望岩と言ったのだな。直ぐ上に岩があり佐野さんは
その岩に登った。僕は佐野さんが登った岩こそが展望岩と思っていた」今日は僕も佐野さ
んが登った岩に登ってみる。この岩の上からだと「とうろう岩」はさらにはっきり見えた。

5日はこの岩に登る佐野さんをカメラで写した淡い記憶がある。ここまでで見つからなかっ
たらもう見つかる期待は薄い。もう一往復しようか迷ったが、あの笹藪地獄ではやはり
同じ所は歩けていない。服も濡れていて天気は曇ったままで体が冷えて仕方ない・・。
ひょっとしたら記憶違いでもう少し上で落としたかも・・・。尾根分岐手前くらいまで探して
みることにした。ここからもひどい藪地獄がまた始まる。


Aとうろう岩を経由して下山する

9:45
1350m地点までゲキヤブの中を探したが、探すと言うより自分の体を前進させるだけ
で精一杯の藪状態だ。同じルートを下ってもあの笹藪地獄では、見つかる期待はできない。
「佐野さん、いるかさん、見つからなかった・・・。お二人が滝を登る勇姿の画像をこの手に
戻せなかった・・・滝の前や山頂での記念写真も・・・ごめんね〜」と叫んだ。

「隣のとうろう岩の尾根で、昔の正規ルートを下りるか・・・」と西尾根にゲキヤブ内を
トラバースしようとするも、ここも半端ではない笹藪。背丈より高いので自分の位置がわ
からない。5歩進んではコンパスとにらめっこ。ヤブを漕ぐ度に体の向きがブレている。

1320m地点位に笹の少ない道のようなものがあり「これが西尾根の道か。ラッキー!」
と下り始めた。しかしなんとなく道というよりルンゼぽくなってきた。「あっこれは西尾根の
すぐ東のルンゼに違いない。しまった」と1280m地点で西側の尾根に乗ろうと寝た笹藪
をつかんで乗ろうとするが寝た笹に乗って滑ってしまい、少しルンゼを登りかえし
またチャレンジするが無理。3度4度としても無理。ルンゼを1320mまで登りかえし
て西尾根に乗った。しかし前方は笹で見えない。コンパスで杉の木を目印に進む。
笹で滑って転ぶ。寝た笹を持ち上げてまた進む。前方がなかなか見えないままのコンパ
ス頼り。これほど頻繁にコンパスを見ないと進めない笹藪地獄だ。
ゴソゴソと音がするたびに。「く、熊かな・・」と大声を出したり鈴を振り鳴らしたりする。

1270mあたりで急に笹が刈られたような道がある。「これだ!」これが1994年頃に
氷ノ山ルーツを探る会の人たちが笹を刈って整備された道だろう。
ここからは今までとは大違いに楽に下れる。
(※ここから山頂への上へ続くはずの、とうろう岩経由ルートはゲキ藪で全く消えている)

10:50
1250m地点。尾根が切れて崖。下をのぞき込むと「おおっ!」その先に二つの岩頭がある
ではないか!とうろう岩に来られた。とうろう岩への道はぐるっと時計回りで下る。
えらく大きく回り込む感じの道なので、岩を過ぎるのでは・・・とやや不安になった。
上の「とうろう岩」 下「のとうろう岩」
11:00
上の岩の前に出た。デカイ! 
とうろう岩の二つの岩頭は、標高1240mあたりにある。
(緯度経度 N 35,21,35,2/E134,30,43,2)


親水公園にある、大きな看板地図に示されている「とうろう岩」の位置(18番)も明かに
間違っていることがこれで証明されたとも言える。
親水公園の看板地図中央「18」位置は違っている


上の岩は10m位、下の岩は6m位の大きなごつごつした岩である。
どちらの岩も、上に祠でもありそうな雰囲気だ。

上の岩と下の岩との間で休憩して行動食をとった。いまだに曇り空で濡れた服とズボンは
体が冷えて寒い寒い。登山道からの登山者の声が聞こえる。

カメラが見つからなかったので、携帯電話のカメラで撮影しようと電源を入れると、今日
登って来たカメラ紛失尾根のゲキヤブ状態を知っている、石仏熱中人のやまあそさんから
「無理しないでよ〜」とメールが入ったので、とうろう岩の写真とともに「どこに石仏がある
のかわからない〜」と返信。
左から見て 右から見て
すぐさま「岩の下の方」と返事が来た。「どっちの岩かわからんやん・・」と探す。
上の岩のすそを時計回りで回ると岩の割れ目に石仏があった。「これや!」

「此のコースは昔山岳宗教盛んなりし頃山伏達が下駄を「ハイテ」登り降りしたと
云う修験者修業の道場である其の証拠には岩に安置されている石仏には下駄を
「ハキ」錫杖を持ち「ニンジュツ」の姿をした石仏が二体安置されています。」
という
全文を思い出せず、「下駄を履いている」という下りだけ思い出し「ホンマや、下駄を履い
てるなぁ」と珍しい格好の石仏に感動。やまあそさんにも石仏の写メールを送信した。
景色をながめながら岩の間で休憩
石仏の左に文字らしきものがうっすら彫られているが僕には意味がわからない。
やまあそさんが来訪時に解読してくれるだろう。
二体安置されているならもう一体があるはずなのに「これのみ」と思いこみ、探さずに
曇り空ながら展望が利く赤倉山方面をながめながらゆっくり休憩していた。
文字の解読ともう一体の捜索は、石仏熱中人のやまあそさんに託すことにしよう。

5日に佐野さんたちとここに来ていれば、ボルダリングで2つの岩のてっぺんに登ったか
もしれないが、今日は1人なのでロープはあるものの登るのはやめておいた。
しっかりした道が ずっと続いている
さて、下山。下の岩の左手の倒木の急な下り。下りながら下のとうろう岩を観察すると
一部に穴が開いていて向こう側が見える。溶岩が溶けたような感じの岩肌だ。
ここからは、踏み跡道がしっかりと付いている。
細いブナや雑木林の快適な尾根道である。「あの東尾根のゲキヤブとは大違いだな。」
イワウチワも沢山ある尾根道だ。

左の沢の音が近づいてくる。沢までもうすぐだ。
途中尾根が崖に阻まれて西へ巻くあたりが不明瞭だが、やや巻き気味に左から下ると
また道ははっきりするものの、急傾斜のトラバ−スなので注意が必要。
岩に矢印が 尾根の取り付き点に
振り返ると途中の大きな岩壁にも赤ペンキの左右の矢印がある。
矢印右手上から木の根を持って下りた。
1100mあたりからはほとんど急な尾根道と思えばよい。
「おおっ、やはりここに出たか」あの赤いペイントの大木だ。沢の「くの字の滝」の前で
再度休憩し行動食をとった。
5日の溯行時にもここで休憩し、今日は朝も来た。一週間以内に3度も来ている。
ここからは来た道を戻るだけ。台地の一升瓶を見て、鎖場を登り、炭焼き窯跡を過ぎて
斜めに歩いていくともう登山道は直ぐそこだ。

12:30
木地屋跡。ヘルメットをとってのんびり登山道を下る。
手首には20以上の笹の切り傷。20分ほど下ったところで若い男性とすれ違う。
「上はガスですか?この山は初めてなんです」今日の天気とガスの具合を伝えた。
いまから山頂へ行って戻るのは時間的にちょっと気がかりだが・・・。

地蔵堂で、熊にもおそわれず、無事の下山のお礼として、手を合わせた。

13:10
下山届けをポストに入れ、泥まみれびしょぬれの服を着替えて「万灯の湯」へ向かう。
温泉までの田では稲刈りがされていた。ススキも出だしているのんびりとした景色だ。

冷えた体に温泉とサウナはありがたい。手首の傷は5日と同じくヒリヒリと・・・。
露天風呂でもゆっくりつかり、漬け物とお茶で休憩しマッサージ機を終えて帰路についた。

和田山を過ぎたあたりでやっと晴れ間が出だし、丹波市を過ぎるあたりで晴天・・・。
5日も今日も氷ノ山の天気予報は大ハズレだった。北近畿道で17時半に帰宅。

   ※ 今回のレポートの写真はすべて携帯電話で撮った写真です。
      木地屋跡からとうろう岩までのピストンなら藪に悩まずに行けます。
      ただし、急斜面の痩せ尾根部分もあります。岩から山頂までは藪です。

     とうろう岩のある尾根の東隣尾根を通りデジカメ「μ800」を発見された場合は
     是非ご連絡を下さい。そんな用も意味もない尾根は通らないでしょうが・・。
     今後の山行写真は「μTough-8000」を持参して撮ります。
今回のカメラ探しととうろう岩経由のルート
この1つ前の記録は「沢【兵庫】八木川・不動谷から氷ノ山」の記録です