【北アルプス】涸沢の紅葉

10年前の思い出の地へ


【行き先】上高地・涸沢の紅葉
【日 時】2004年10月1日(金)〜2日(土)
【メンバー】MICKEY、矢問
【コース】 前夜(9月30日)発
      1日:沢渡大橋(4:40)−河童橋(5:15)−(7:30)横尾−(10:25)涸沢(テント泊)
      2日:涸沢(5:30)−奥穂パノラマコース−(6:55)穂高岳山荘
        −涸沢(10:00)−徳沢へのパノラマコース−(15:10)河童橋−沢渡
10年前に家族で行った思い出の涸沢。まだ息子達は小学生だった。
ここの景色を見て「登山は嫌い」「テント泊なんて大嫌い」のMICKEYが、「こんな景色が
日本にあったの!」と、突然の「山好き」に大変身した驚きの思い出の地である。
「10年経ったらまた来よう」の約束を果たしに、台風21号の通過とともに1日遅れで
出発。「晴れてくれよ〜」と天に祈る。台風で紅葉の葉も少しは散っただろうなぁ。
中津川ICで高速をおりて、19号線を少し戻り閉店時間ぎりぎりの「アルペン」で持参
を忘れたコンパス購入。22時過ぎに沢渡に着いた。道路の気温は11度と出ている。
沢渡大橋の梓駐車場と沢渡の村営第2駐車場を偵察。
空いてる梓駐車場にして前泊とした。トイレもある。駐車料金は1日500円。

バスは5時半発だが、タクシーはルールで4時半に沢渡地区に入ってこられる。
上高地・河童橋バスターミナルまでバス片道1000円(往復1800円)だが、タクシー
は相乗りで1100円なのだ。日帰りの写真目的の登山者は大抵タクシー利用する。
人の少ない静かな道を歩きたいし、暑さに弱い僕らは、涼しい内に横尾から涸沢への
登りをすませたい。また涸沢でボ−ッと景色をできるだけ長い時間楽しみたいのでタク
シー利用を狙った。

第一日目(10月1日)
4:40
時間通り4時半にどんどんとタクシーが駐車場へ入ってきて客待ちを開始。
タクシー相乗り者を探していた日帰り登山者と相乗り。釜トンネルは5時開門なので
入り口で5分ほど待った。今年3月の雪の頃に歩いた釜トンネルや大正池を通過する。

5:15
工事中の河童橋・バスターミナルに着いた。タクシーの相乗り者は岳沢へ行くらしい。
まだ真っ暗だが、月明かりでヘッデンなしでも歩ける。河童橋は日の出を待つ人が
6名ほどいた。まだ陽が上がる前の時間はすごく寒くて手袋が必要だ。
明神岳が朝日に輝きだした 徳沢のテント場はまだ静か
5時45分に明神に着いた。ご夫妻が1組バードウォッチングをされていた。
もう明るくなり出した。明神岳が朝日に照らされて美しい。この先では3月に猿の軍団に
会った場所だ。今日もまるまると太ったというか冬毛に変わった猿が多くいて怖かった。
6時35分に徳沢に着いた。まだ徳沢から離れたところで「ご飯を炊くにおいがする」とMICKEY。
おなかが空いているな(^^;) テントは7張りほど。軽く朝食にした。3月にはこれから先を凍った
川の上を最短距離で横尾まで歩けたが、この季節は通常の道をテクテク行く。
人もいなくて静かだ。バスより先にタクシーで上高地入りしたおかげかも。
梓川の河原に横尾までずっとトラックが走る道が並行して走るのは何か興ざめするなぁ・・・・。
横尾山荘の周囲は笹だらけ 横尾大橋にて
7:30
横尾に着いた。休憩する。今年の3月にテントを張ったところは背の高い笹原という
ことに驚いた。辺り一面大雪原だったのに地面の見えているところはごく一部なのだ。
3月は河童橋から約4時間の雪道歩行だったが、今日は約半分の2時間だった。
金髪の男女数名の外人さん達がテントにいた。
屏風岩を眺める 本谷橋
屏風岩を見上げながら、10年前の思い出を話しながら横尾谷沿いに歩く。

8:40
本谷橋。古い橋が下に残骸のようにあり、新しい橋を渡る。上着を脱いで半袖に。
ここからの景色も秋色で素晴らしく、どんどん広がる素晴らしい景色に感動。
僕らの直ぐ前に、綺麗な足の運びの年配の女性が道のゴミを拾いながら登っておられる。
家の近場の低山ならこういう姿もよく見かけるが、アルプスでも見かけるとさらに感心する。
だんだんと秋色の景色が見え出す
分岐まで30分というところで紅葉の素晴らしさにMICKEYのペースがあがる。
「ちょっと待ってくれよ〜(^^;)」という僕の声に振り返るものの先に行ってもう見えない。
徳沢で「今日はゆっくり行ってね」というMICKEYの言葉はやはり違った(^^;)。

僕には10年前もおなじ経験がある。このあたりから息子達とMICKEYは先に行き、僕は
重い荷物と暑さでバテバテで、口から心臓が飛び出しそうだった。トラウマのルート・・。
「またあの再現か(^^;)ノンビリ行くさ」と一人苦笑い。分岐の右ルートは涸沢小屋の方面。
そっちにMICKEYの姿が。「違うぞ〜。左へ行く。涸沢ヒュッテでテントの受付予定」と伝える。
涸沢付近ではもう黄色いナナカマドはこのあたりではまだ赤くてとても綺麗だ。
北穂と涸沢小屋をバックに 東方面のパノラマ展望
10:25
涸沢ヒュッテに着く。10前のトラウマが消えた。涼しいと楽なルートじゃないか(^^)。
トイレが驚くほど綺麗に建てかわっている。便座も暖かい電熱式。(テント場のは古い)
ここまでする必要があるのだろうかなぁ・・・・。

テントの受付は13時から。1人1日500円。先に張っておいてくださいとのこと。
食料も持参しているが、今日の夕食は小屋で贅沢に。そして朝食も弁当で贅沢に。
夕食2000円の申し込みと夕食時に受け取る弁当1000円の申し込みをした。
「あっ、あの女性だ」途中で前を歩いたり抜かしたりした女性は、ここの関係者らしく、
受付や売店で働いておられた。どおりで山慣れした美しい歩き方だったのだ。納得。

向こうに見える「涸沢小屋」を見てMICKEYが「10年前と形が違ってるわ〜」と。
よく見ると、屋根の形も壁の色も窓の数も10年前の写真と違ってるのだ。
そういえば涸沢ヒュッテも違ってる。展望デッキも違ってる。やはり「10年一昔」か〜(^^)
涸沢槍と北穂 夕方・テント場の水場からテント場
「10年前と同じところにテントを張ろう」と思い出の場所にテントを張る(^^)。
360度、雲一つ無い晴天(^^)v。あたりは秋色の斜面。「綺麗ね〜」の連発の2人。
「時間も早いし、奥穂か北穂に登るか?」「今日はここでボーッとするのが目的なの(^^)」
と、うっとり景色を眺めているMICKEY。「そうだな(^^)」と売店のおでんを食べに行く。
おでんは朝5時頃から売っていて100円と150円。セット売りもある。
生ビールやワインを展望デッキで飲む人も多い。勿論木製のデッキ上は禁煙だ。

息子達が遊んでいた大岩も懐かしい。あの夏はまだ雪も沢山残っていた。
午後2時半になると、テント場のカール内は吊り尾根と奥穂の壁で早くも日陰になる。
グッと気温が下がる。フリースを着る人、ダウンを着る人。いろいろだ。
日陰とともに景色の色も変わり、いつまで見ていても飽きない。「素晴らしいネェ(^^)」

ヒュッテの夕食は10年前同様にこれまた豪華。鶏の唐揚げやヒラメの煮付け等々。
小鉢もある。みそ汁とご飯はお代わり自由。僕もMICKEYもお代わりして食べ、満腹。
(その分、昼間はひっきりなしにヘリコプターが物資を輸送して音がずっと聞こえてる)

夜は月と満天の星空を眺めてこれまた飽きない。でも明日の予報は曇りから雨となって
いるし、あさっては雨とか・・・。明日の予定は奥穂から涸沢岳を通り北穂へ行き、テント
場に戻る予定だが、明日の朝の様子で雨なら中止することにした。
      (10月1日の涸沢の気温・・・・・朝は7℃、日中は28℃だった)
第二日目(10月2日)
朝4:30に空を見ると、テント場の真上と東側は雲がないが奥穂の真上は真っ黒の雲。
奥穂の西側の雨雲を奥穂の壁が止めているという感じ。「奥穂も北穂も前に天気の良い
ときに登ったから、別に天気の悪そうな今日は登らなくてもいいよ。私の目的は涸沢の
景色との再会だから(^^)。でも穂高岳山荘のTシャツは欲しいね〜(^^)」とMICKEY。
モルゲンロート・山の朝焼け 奥穂にガスがかかった
5:30
とりあえずサブザックに必要品を詰め込んで、パノラマコースで穂高岳山荘を目指す。
もうあたりは薄明かるい。「テント泊してこんなに遅い出発は珍しいね」
涸沢小屋からのルートとの合流地点手前のトラバース中に、東の日の出の光が当たり、
斜面が赤くなった。「綺麗だなぁ」その赤い斜面を歩いているのだ(^^)。
6時に合流点。そのあとは長いトラバース道、10年前に目の前で滑落事故を見たところ。
ヘリで血みどろの人が運ばれたのを思い出した。ザイテングラードを登り出す。
「この鎖場、このはしご、子供達が大丈夫か心配だったわ」と思い出すMICKEY。
奥穂の壁で遮られていた雲がジワジワとカールの方へ。ガスはどんどん下降してきた。
「小屋まであと20分」と記した岩のところで完全にガスの中となった(;_;)。

6:55
穂高岳山荘。ガスが濃いし風がキツイ。入り口の様子も作りも10年前とは違ってる。
山荘で休憩。奥穂から帰ってきたテン場の人達が「前が何も見えないし、吹き飛ばされそ
うな強風だった」とガスでびっしょり濡れている。
MICKEYと僕の目的のTシャツはサイズが無くて断念。しばらく休憩して、奥穂はやめて近い
涸沢岳へ向かう。山荘の直ぐ上のテント場にテントが一張りあり、男性が強風の中で撤収し
ている。挨拶したあと、尾根に出た僕らも、すごい強風で前に進めない。岩から手を離せな
い。う〜ん、一歩出す足もとばされるほどの強風だ。カール側の風とは全く違う悪天候の風。
後ろのMICKEYも強風で動けない。「この強風では進めない。戻ろう!」小屋に戻り、下山。
カール側に下り出すと、別世界のように風がない。しかしガスはどんどん下降している。
まだテント場の上と東側は晴天だ。涸沢小屋まで下ったときにはテン場の上半分が雲に
覆われてきた。今日の夜も明日の朝も雨とのこと。「テントを撤収して、雨が降らないうちに
徳沢まで下って徳沢(ヒュッテで16:30〜19:00は外来湯あり)でもう1泊しよう」と決断する。
涸沢ヒュッテでその旨お話しすると、本日予定のテント泊の料金を1泊分返金してくださった。
パノラマコースからテント場 パノラマコースからカール全体
10:00
テント場から徳沢へのパノラマコースで下山開始。パノラマコースからの涸沢一望も素晴ら
しい。黄色がこのルートは美しい。すでに奥穂や北穂は黒雲で覆われてきている。
コルまでザイル場や鎖場が多い 屏風のコルからの急降下開始
「下山」のはずだが、屏風のコルまでの1時間ほどはザイル場や鎖場の「登り」が続き汗が出る。
「この道は雨の日は滑りそうだね」途中で少しルートを誤る。正しいザイルは上へのびていた。
屏風の耳のてっぺんに人が1人立っているのがシルエットで見えた。コルからはやっと下り。
岩がゴロゴロとあり屈伸しまくりで重い荷物で疲れる。ここも雨なら滑りそう。
「徳沢まで雨降るなよ〜」雲の流れと競争か。天気の良い方向への下山している。
奥叉白谷では新村橋と徳沢小屋の屋根が見えた。ここからは樹林帯で苔も多く倒木も多い。
風が止まり蒸し暑い樹林帯。堰堤手前にケルン状のお墓のようなものか3つある。
堰堤からは右岸の林道を下る。大岩の上に碑がある。

13:20
新村橋。ここを渡って徳沢に行くか・・・。「もう徳沢で雨の中の一泊などせずにこのまま雨が
降り出さないうちに河童橋バスターミナルまで行こう」とさらに変更を決定。下り坂が予想され
ての長居は無用だ。元の道を帰るのもおもしろくないのでこのまま梓川の右岸沿いの林道を
進み明神から河童橋までは同じく右岸の木道の自然探勝路で梓川を楽しみながら歩いて行く
ことにした。ここを歩くのは初めてだ。木道やら木橋やら木の廊下状などが続く。観光地・・・・。
河童橋までは木道の自然探勝路
14:20
明神橋。ここまでは静がだったが、そこからはハイカーやサンダルや犬連れの散歩の観光者
が多くてじろじろ見られた。時々パラッと霧雨が降った。疲れてきたが足が速くなる。
岳沢への登山道を右に見る分岐(15:00)を通過。

15:10
河童橋。なんとか霧雨パラリで天気も持った。この大量の観光客が戻る前にバスに乗ろう。
中国語の観光客が多い。穂高岳山荘でも中国語のグループが多かった。
15:20、バスの切符を買うと直ぐにすいている7番バス停のバスに乗れた。なんと幸運(^^)。
沢渡大橋に着く頃には霧雨が連続になりつつあった。ぬれずに済んだ(^^)v
あきらめていた駐車料金も1日分返金してくれた。ありがたい。

県道26号線に入り新奈川リフレイン手前の手打ち蕎麦屋で大盛りを食べて、リフレインで
汗を流し帰路へ。沢渡周辺と違い空いていてゆったりと入れた。

「晴天の涸沢の秋色は美しかったね。また10年後に来れるかなぁ・・・」とMICKEY。
「別に5年後でもいいのでは?」と僕。「賛成!」再来を楽しみに、23時55分帰宅完了。
秋色と素晴らしい展望を満喫し、10年前の涸沢の思い出にふける良き山行となった。
撮影した写真は144枚にもなっていた。これ以上観光地化が進んで欲しくないなぁ・・・。
この1つ前の記録は「【芦生】由良川・大ヨモギ谷ハーフコース」の記録です