【湖北】大岩山から賤ヶ岳(421m)
【行き先】 湖北:大岩山から賤ヶ岳(421m) 【日 時】 2004年2月1日(日) 【メンバー】矢問&MICKEY 【コース】 JR余呉駅前−大岩山−賤ヶ岳−余呉湖荘−JR余呉駅前 |
朝5時過ぎに家をでた。名神から北陸道に入り木ノ本で下りる。 途中、伊吹山の勇姿が見えるがこの時期としては雪が少ないように見えた。 7:55 JR余呉駅前の町営無料駐車場を出発。予想していたより雪が少ない。 東へ5分ほど戻ると登山口だ。登り口に観音堂があり「平和の鐘」という鐘楼が ある。地元の人がその鐘を突いていた。MICKEYも突いた。積雪はくるぶし程度だ が、雪と言うよりガチガチに凍っていてガシッガシッと踏み音が大きく鳴る。 静かで気持ちが良い。晴天でとても暖かい。 |
8:25 林道に出た。林道を少し歩くと左へと登山道への階段がある。 道標はしっかりしている。 |
大岩山・中川清秀の墓 |
8:35 茨木の城主であった中川清秀は秀吉に味方して「大岩山」に砦を作った。 大岩山は、有名な信長の後継者を争った賤ヶ岳の戦いで、天正11年(1583)の 賤ヶ岳合戦において最初の戦いのあった陣地の場所だ。 柴田勝家の部下で行市山に布陣する佐久間盛政が夜影に乗じて大岩山の砦を 奇襲し、この陣地を守る摂津の国、茨木城主中川清秀はよく奮戦するも、全員壮烈 な最期を遂げたという。 勝ち誇った佐久間の軍勢は勝家の帰参の命に従わず余勢をかって賤ヶ岳の砦に 進撃。この報を知った羽柴(豊臣)秀吉が大垣より駆けつけ、賤ヶ岳の合戦となり、 秀吉軍の大勝利。柴田滅亡の原因となったのである。 ここから5分ほど行くと「首洗の池」がある。当時、土民達が中川清秀の遺体を 柴で隠し守る際に、その首を洗った池であるらしい。小さいがまだ水があった。 さらに5分ほど進むと「猿が馬場」がある。羽柴秀吉が加藤清正ほかの「七本槍」 と言われた重臣達を引き連れて、敗退する佐久間盛政の追撃戦を指揮していた最 初の場所で、後に戦線の移動に合わせて秀吉は賤ヶ岳山頂に陣を移したという。 山頂まで1.1qという道標を過ぎると勾配がややきつくなる。 MICKEYはどんどん先に行き見えなくなった(^^;) 土塁の石垣跡などが見える。 |
この先から勾配がさらにきつくなる | 賤ヶ岳・山頂 |
9:30 登ったり下ったりを繰り返し、最後の急勾配で余呉湖の景色を見ながら凍った雪道を 登ると綺麗な雪原の山頂だ。手前に「熊に注意」の真新しい注意看板(^^;) 桑山重晴と羽田長門の砦跡があり、山頂の回りには土塁跡、南側には犬走りが道 路のように残っている。合戦の頃は全山ススキとクマザサの山であったといい、 合戦の血で余呉湖が赤く染まったと言う。 先に着いていたMICKEYが「綺麗よ〜。すごい景色(^^)」喜んでいる。 本当に素晴らしい眺めだ。トイレも沢山のベンチもある。 雪山のパノラマを30分間見ながら、誰もいない静かな山頂ベンチで朝食。 横山岳や金糞山もよく見える。余呉湖畔の北に「天女の衣掛柳」が見える。 |
10:00 「七本槍古戦場賤ヶ嶽」と記した木の横から下山。男性が2人登ってくる。 余呉湖から飯浦港へ抜ける「飯浦越切通し」を通り国民宿舎「余呉湖荘」横に出た。 ここは11時から400円で日帰り湯に入れる。 今日はそれほど汗もかいていないので入浴せず湖の西の道を北へ。 東対岸に自分たちが先ほど歩いた尾根を見ながら歩く。湖面には鴨が多い。 (今年は、渡り鳥が鳥インフルエンザを運んでくることで注目された年でもある(^^;)) 歩きながら、NHKのドラマ「利家とまつ」の前田利家のことも頭に浮かぶ。 先鋒の佐久間盛政の後方を守る殿隊(しんがりたい)だった前田利家と利長親子は 盛政の戦況を余呉湖の西の茂山から見ていたが、秀吉が大垣から木之本までの 52qを5時間で引き返した「美濃大返し」により、盛政が退却を始めると、陣を離れ 越前へ引き返した。殿隊を失った盛政は後方からも攻撃を受け総崩れとなった。 戦況はここから秀吉側が有利となり、勝家は北ノ庄城へ退却していくこととなった。 その後、前田利家は秀吉に仕え、徳川時代には100万石の大大名となったという。 利家は茂山で、この賤ヶ岳の戦況を見ながら何を考えていたのだろう・・・・・・。 420年以上経った今、それを空想しながら周囲を見つつこの湖畔を歩くのも楽しい。 余呉湖の北の別所山には前田利家が陣を置いた砦跡もあるらしい。 湖畔のこの道中には、賤ヶ岳の合戦時に伏兵達の隠れ場「新羅崎の森壕」や 干ばつの際に身を投じて雨を降らせた「菊石姫の碑」などもある。 |
余呉湖の北東方面 | 南方面・ワカサギ釣りと賤ヶ岳 | 天女の衣掛柳 |
ビジターセンターの前にはワカサギ釣りの人々が500人以上いる。 名古屋や岐阜ナンバーの車が多い。今日の釣果はあまり良くない様子。 その横には菅原道真にもつながる「天女の衣掛柳」と言われる大木がある。 中国系の柳の大木で日本の物とは木の姿が違う。 11:30 駅前の駐車場着。雪が少なくてワカンは一度も使わなかった(^^;)。 「歴史をしみじみ感じる静かな山だったね(^^)」とMICKEYは満足の様子。 帰りは節約で琵琶湖の西を走る国道を帰路とした。 マキノ高原方面の山々の積雪がまぶしいくらい輝いていて綺麗だった。 |
この1つ前の記録は「芦生:雪の櫃倉林道と森林軌道」の記録です |