【北摂】寺山から広照寺山


NiftyのFYAMAではおなじみの妻恋地蔵さん(ナカニシヤ出版の「低山趣味」という本の著者)
からお誘いを受けて、近場のヤブ山ハイクに参加しました(^^)v 
天気も良くて楽しい「年末探検ハイク」でした。
メンバーもフリークライミング、ケービング、海外登山と幅広い方達で健脚ぞろい。
妻恋地蔵さんと山喜多さんの読図教室、歴史教室で今回も勉強になりましたm(..)m

以下は、FYAMAに妻恋地蔵さんがアップされた山行記録です。
(※写真は矢問が撮ったものです)

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                                 2001.12.16 妻恋地蔵

 雑木の葉もすっかり落ちて、歩きやすくなった広照寺山を歩きました。
ぽかぽか小春日和ののんびりハイキングを楽しみました。
【山行日】 2001(平成13)年12月16日(日)
【山 域】 北摂山地
【天 候】  晴れ
【同行者】 矢問さん、MICKEYさん、sagamiさん、ダンノ凡太郎さん、山喜多さん、
       林さん(「月報 西谷」編集発行人)、井田さん、板倉さん、塚本さん
【時 間】  波豆川公民館10:35==11:20寺山:広照寺山鞍部==11:30寺山(492.4)
        ==広照寺山13:30==14:20殿様墓
いながわ道の駅9時集合。多彩な顔ぶれがそろう。私としては、MICKEYさん、
sagamiさん、塚本さんと初めてお会いできて嬉しかった。
手前は公民館・左から寺山、広照寺山
波豆川(はずがわ)公民館の対岸に車を2台残し、2台に分乗して香合新田(こうば
こしんでん)に向かう。高畑峠から高畑山を経て、広照寺山(こうしょうじやま)まで
縦走する予定。笹尾峠に車を置くつもりだったが、林道の途中に杭が打ってあり進
行不可。そこで、林さんが香合新田の石井さんの了解をいただいて、高畑峠側に
入った林道の路側に駐車させていただく。ところが、すぐに石井さんの息子さんが
車で追いかけて来られて、このごろ土日にはハンターがたくさん入って猪狩りをす
るので、山には入らない方がよいとのご忠告。いつもそんなハンターのうろうろす
る藪山を平気で歩いているメンバーばかりだが、地元の人の善意のご忠告を無視す
るわけにいかず、縦走は止めとする。広照寺山西側の谷を登って南の尾根を下る計
画に急きょ変更し、波豆川公民館へ引き返す。
高畑峠の祠には地蔵がなかった 林さんの名ピッケル(シシよけ)
公民館東側の集落は殿垣内(読み方不明)といい、その最奥のお宅の庭先を通らせ
ていただいて、古い山仕事の道に入る。すぐに石垣の跡に出る。「三田市史」による
と、中世のころ、多田源氏一族の北畠氏が、この殿垣内に城館と広松寺を築いたと
あるが、この石垣が広松寺跡かもしれない。三田市教育委員会による城館発掘調査
の結果は詳細に記載されているが、広松寺についての説明がほとんどないのは残念だ。
広松寺跡の石垣か?? いよいよ道が狭くなるぞ
次第に藪がうるさくなった仕事道を登ると、近年まで使われていたとみえる炭焼
窯跡に出た。天井も立派に残っている。寺山と広照寺山の鞍部めざして登って行
く。道の形跡ははっきりしているが、伐採跡地らしく、藪が茂って歩きにくい。お
まけにイバラも現れてイタイタ。伐採跡地を抜けると、歩きやすい雑木林になり、
少しの登りで鞍部に到着。
しっかりした炭焼窯跡 あと一息で鞍部ですよ〜

 寺山へは急な登り。道といえるほどでもないが、歩きやすい踏跡がついている。
頂上は北摂の藪山らしい、展望のない雑木の中。再び鞍部に引き返して広照寺山に登る。
寺山の三角点にタッチ! 北の香合新田の集落が見える
平坦頂上のちょうど中頃の、やや開けた所で昼食とする。すべて矢問さんご夫妻
に用意していただいた豪華なキムチ鍋を囲んで、盛大に忘年会を始める。うどん鍋
のおまけまであった。冷たい握り飯と水で、震えながら食べるいつものわびしい昼
食とは大違い。うまいうまいの大歓声が起こる。矢問さん、ありがとうございます
m(_ _)m。そこへ一人のハイカーが現れた。高畑峠から縦走して来られたとのこと。
この異様な大騒ぎに驚かれたことだろう。
う〜ん腹減った〜(^^) 暖かい鍋が一番だね!
三蔵山方面の展望 三草山・妙見山方面の展望
広照寺山の南尾根を下る。雑木林の尾根には適当に踏跡があって、歩きにくくは
ない。ただ、尾根の下りは読図を間違うととんでもない所に出るから、予定のコー
スを歩こうとすると、読図に気を遣う。下るにつれ、三田市史の地図にある山道の
跡がはっきりしてきたが、近年歩かれていないとみえ、藪も茂って廃道に近くなっ
ている。末端で南と南西に分かれた尾根は、市史地図どおり南西に入る。新しい伐
採で乱された跡を抜けて下ると、古い溜池に出た。小さな祠があった。
 
溜め池にドンピシャ出ました(^^) 山の神の祠かな?
すぐ下の獣よけ柵を乗り越えて畦道を進み、もう一つ柵を越えると古い墓地に出た。
ここは地元で「殿墓(とのばか)」と呼ばれている所で、中世のものとみられる立派な
五輪塔があった。
文字はもう読めない 墓地で記念写真(^^;)
いい天気で気持ちいいです(^^)v
波豆川公民館に帰り、大舟寺(だいしゅうじ)へ行く。県の天然記念物に指定され
ている榧の大木がみごとだった。広照寺山の方から盛んに犬の吠え声が聞こえ、銃
声が何発もとどろく。「香合新田の人の忠告を聞かず縦走していたら、今頃は広照寺
山の下りにかかっている頃だから、危ないところだったね。」と皆で語り合った。
樹齢800年の三宝のカヤの木 大舟寺と後ろに寺山 風情のある鐘突堂
◎以下、全くの私見です。
 492.4m山とその南東の付属山の二つを併せて、昔は「広松寺山(こうしょうじやま)」
と呼ばれていたのではないだろうか。その後、小さな庵寺だった広松寺が廃れ、
大舟山から移った大舟寺が大寺だったために、大舟寺の山ということで「寺山」と呼ば
れるようになったのではないか。
 現在の登山地図や記録報告は、492.4m山を「寺山」とし、付属山を「広照寺山」として
いる。地元の二つの呼称を、誰かが二つの山に振り分けたのではないかと思われる。
また、地元で「こうしょうじやま」と聞いた山に、最も当てはめやすい「広照寺山」の漢字
を充てたのも、そのお方と思われる。私も以前、波豆川の旧家で二つの山を指して、
名前を尋ねたことがある。「『こうしょうじやま』と昔から呼んでいるが、漢字は分からない」
という返事だった。
                                            妻恋地蔵 記
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一つ前の記録は「深山北面」の記録です